総括。

2017.05.13.13:02

私自身は健康問題、持病の鬱病、歳を取った自覚と共に肉体的な衰え、物忘れが出始め気分的には所謂終括に入ったのでは、そんな思いが最近している、実際にはまだお陀仏になるにはまだ時間があるのかもしれないが、そろそろ自分が生きてきた人生を総括してもいい頃かもしれない。

その意味では母に感謝したい、よく私という人間、男をこの世に産んでくれた。

そして母がいなければ今の私は有り得なかった、私達兄弟がまだ幼い頃、両親は離婚した、父はロクデナシだったこともあって親権は母が取った、父からの経済的援助は一切なかった、結果母が昼夜を問わず働き、私達子供も私は新聞少年、弟はミルクボ‐イで自分の事は賄った。
それでも生活は成り立たず生活保護を受ける始末だった、私は長男だったため市役所にその生活保護を貰いに行く役目だった、今でも忘れられない思い出がある、それは市役所の生活保護の窓口の担当だった婆あが意地の悪い女で幼い私に散々嫌味を言った事だった。

当時、生活保護を受ける事はある意味恥辱だった。

母がよく泣きながら言った、御免ね、お前ばかり苦労を掛けて、その後色んな事が有った、私は事件を起こし転校、親戚預かりの身となった。
そんな事もあってその後の学校キャリアーとしては自慢出来るキャリアーはない。

三流駅前大学中退だから実質高卒か、だが本は貪るように読んだし、その後入社した会社で営業幹部として工場部門を視察していた時、東大卒のアルバイト工がいた事もあって、学校キャリアー、思う程たいした事はないのだ、そう思った。

途中の話としてヤクザ稼業のリクルートの話もあった。だが高校アルバイト時代(大宮のキャバレーで厨房に入っていた)、やくざ稼業の末端組員の実態を知っているのでそれはしなかった。
同時にこのキャバレーに働いていたお母さんやお姉さんに可愛がられたが、逆に彼女達の深い事情や悲しみにも、勉強になった。

出来上がって書いているので今日はここまで、


第二弾、書こうかと思っていたが、何か自分の全てを晒しそうで躊躇している、ただ、これだけは言いたい、私は下らない人間だが悪党ではないし心底根性が腐った人間ではない、今は自分に対してどう思われようがさほど気にしない男になったが、会社員時代は顧客に愛される優秀な営業マンだった自負はある。

私は営業マン、それも若い頃、当時の会社経営幹部から可愛がってもらっていた、当時の副社長、取り締まり経理部長よく飲みにつれて行ってもらっていた、そして創業社長の娘の結婚相手候補になった事もあったらしい。

よく社長宅に同じような候補、所謂若手幹部候補生と一緒に呼ばれよく夕食なんかをご馳走になった、当時はよく分からなかったが多分、娘の婿選びだったかもしれない。

彼女は幼い時に小児麻痺にかかり、今でいう障害者だった、多少体や言語にマヒはあったもののとても優しい女性だった、とは言えそんな企みの知らない私だったから、当時付き合っていた女性は一杯いたし、特に品行方正を気取る事もなかった。

で直ぐ首になった、社長令嬢婿候補、そりゃそうだ、誰だって親であればそう思う(笑い)

人生のターニングポイントは幾つもあるらしいが、ここでも社長令嬢の候補青年、自ら分投げている、これは本当かどうか自信がないがこの社長令嬢、私を気にいってくれた事は私も気はついていた。

この事は相当年月が経ってから、人の話で聞いた事がある。

風の噂によれば非常に心が優しい男性ととその後結婚し、子供にも恵まれ今は幸せな生活をしているらしい。

会社員時代、どうして辞めたか、そしてそれがカナダ移民としてカナダにやって来たのか、それは過去ブログにかいてあるので今更、書かない。


人の人生、人間百人いれば人生も百通りある、私の人生、それぞれの場面を振り返ると色々と後悔もあるが現在の今を考えると結果的にその判断は悪くはなかったのかもしれない、さらには運もあったのだろうし伴侶やよき人との出会いもあったと思う。

ただ、子供時代や人間としての成長期、あまりにも貧乏で悲惨な家庭生活を送った場合、大人になってから根性がひねくれ、嫉妬心や猜疑心の強い本当に性格が悪い人間になってしまう事はある、これは実際に大人になってそのような人間を何人も見てきた。
だから若い時の苦労は買ってでもしなさい、何ての格言もあるが、私はそうは思わない。

何か今回の一連の記事、あまりにも取り留めのない記事で、書いていて居心地がよくないがさてどうしたものかと考えている。

酒を飲んで、それも泥酔して文章を書く、碌な内容にしかならないのはよく解ったがそれ以前に自分の裸を公にさらしていいものか、それも気になりだした。
つまらん男の生きざまなど多分他人にとってはどうでも良い話であろう。

この記事を続けるかどうか暫く考えてみる、もしかして記事として削除するかもしれない。


ちょっと横道にそれた話として書く。
よく人によっては霊的能力、いわゆるスピリチュアル感受性が強い人がいると言われているが、私自身にはそれは全くない、だから宗教的荘厳さとか威厳さとかには惹かれるが、だが幼少期から関わったキリスト教、カソリック、そして現在妻が信じているプロテスタント系SDA教会に通ってはいるが、いまでも全面的には受け入れてはいない、それはキリスト教も含めて宗教自体に偽善というか懐疑的な思いが残っていて信ずるとまではいかない。

この話は初めて書くがそれは多分、幼少期に受けた思いが有るからだと思っている。

私は幼少期、夕張にあったキリスト教会に通っていた、通っていたが、それは信者の子供ではなく求道者の子供としてであった、この教会に関わった経緯は父が精神面での弱さや家庭内での孤立から宗教に頼った事が原因であるが、教会としてよく受け入れてくれたし、いろんな相談に乗ってくれたようだった。

今でも覚えているが寒いクリスマスの夜だった、私は幼い弟と妹を連れて雪の降りしきる暗い夜道を寒さに震えながら長い時間をかけ歩いて教会にいった。

それは貧しかったので教会に行けば美味しい食べ物や温かい飲み物が得られる、そう思い兄弟たちにそれを味わってほしかったからであった。
確かにクリスマスの夜、教会は信者で溢れ、皆クリスマスの夜を祝い楽しんでいた、信者が持ち寄った料理やお菓子も並んでいた、だが信者の子供でもない私達兄弟には誰も声をかけてくれず、どうしていいのか分からず教会の片隅で誰か声をかけてくれるのを待っていた。

私は子供であったが本当に腹が立った、確かに教会にやってきた動機は不純だったかもしれない、美味しい食べ物や温かいもてなしを期待していったかもしれないが、なぜ、そんな幼い子供達に無関心で自分達だけが楽しんでいるのだろうか、これが神を信じ隣人を思いやる人々の集まりなのか、そう思ったら情けなくなり、そして弟や妹の事を思ったら、もう帰ろうと思った。

帰りの夜道、私は泣きながら弟と妹の手を引き、冷たいふぶきが降りしきる中、くやしさと悲しさ、そして兄弟たちに与えた悲しさに申し訳がない思いとで無言で雪道を歩いた思い出があった。

誰も留めなかったし、私達が帰った事も誰も関心がなかった。

よくキリスト教で説く愛、どこにそれがあるというのか、ここに未だに長らく教会に通いながら宗教としてのキリスト教を受け入れない原点がある。

こんな思いは妻を含めて他人に語った事はないが、私が宗教全般に今でも懐疑的なのはこういった経験があるからである。

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