幸せの尺度。

2016.02.28.12:53

今年の6月で68歳になる人生と,残り少ない晩年を過ごしているが、まあ、人並みで悪くはない、幸せか? と問われれば取りあえず不幸ではないと答える。

幸せの尺度、人によっておおいに異なる、良く、妻が言う、私の幸せって小さいのよ、この話には若干説明がいる、妻の趣味というか生きがい、値段が安い衣類を買う事、けれどもそこには彼女自身のファッション感覚があってそれを上手く組み合わせて見た目いかにも流行のファッション、値段の高いファッションに見せる事にあるらしい。

あら、素敵ネ、こんな素敵なファッション、どこで買ったの? それがね、実はこうなの、、、、、、

それが私の妻の小さい幸せらしい、はっきり言って男の私にはこの妻の小さい幸せ感覚は、よく分からん(笑い)

私が本当に幸せだったと思う時、それは何時だったかと自身に問えば、それは私が小さかった頃、多分、小学校はじめ頃の幼少期だったと思う。

私は北海道の夕張で生を受け、清陵町という町で育った、周りは全て北炭夕張炭鉱鉱山で働く炭住街、簡単に言えば映画、黄色いハンカチの世界だった、上も下もない、どこの家庭も皆同じ、自分が当時貧乏だったと思った事はなかった。

ちょうど今頃の季節は直ぐ側であった夕張川から水蒸気のような靄が立ち、遊んで帰った家には温かな灯りがついており、住宅街としては幻想的な場面だった、家族で行った大きな銭湯、互いの声をかけあってもう直ぐでるよ、そして使った手ぬぐいがかちんかちんに凍りついてしまう帰り道、

わたしの子供の頃、私の役目は石炭ストーブに火を起こす事、昔の人は知っていると思うが、大した事がない家庭で育った子供はそれなりの役目がその家庭であった、私はストーブ係り、石炭ストーブ、コツがある、石炭、火力があるが中々着火しない、そこでガンピと呼ばれる白樺の木の外皮を剥いだ物を焚き付けにして使う、私はそんな事が上手かった。

いまでもこの記憶は曖昧であるけれど、私が小学生の頃、父に連れられて北海道博覧会に行った事がある、今でも鮮明に憶えているのがカラーテレビの実験装置が展示されていた、こんな道博を見てクラスメイトに自慢した記憶がある。

限られた価値観が共有する世界、そこで私は育った、海も見た事がなかったから今暮らしている世界が全てだと思っていた。

2月の北海道、外は凍てつく大地、木で作られた粗末な造りの炭鉱住宅に吹雪が舞い込む、でも鉄の鋳物で作られた石炭ストーブは真っ赤になるくらいに燃えており、家の中は暖かかった。

その後色んな状況があった、悲惨な状況もあったが、懸命に働いて欲しいものが買えるようにもなった、たまには外国に遊びに行けたし、美味い物を食えるようにもなった。

そして今、素敵な家に住み、高級車にも乗っている、でもあの家族がころころ笑いあって、助け合って過ごしていた頃が一番幸せだったと感じるのは何故だろう。

幸せの尺度、私には分からない、

そして何が幸せなのかも分からない、、、、、、、、、、だが、幸せではないという定義、それは不幸という事なのか?


私のしょうもないブログ,いろんな方が訪問して下さる、それはブログ機能により分かるシステムになっている、皆さま、それぞれの価値観、思い入れで生きていらっしゃる、その中での価値観の違い、その意味での幸せの尺度の感じ方が色々あるようである。


今日のブログテーマ、このような話、たまには意味がない話も書く、解る人には解る今日の記事、酔い度75%, 阿呆記事であった。
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Re: とてもいいお話でした

2016.03.08.06:28

> ブログ主さんは、私の母の一番下の弟(私と一回り歳が違う)のおじさんと同い年なのですね。
> ウチの母たちも兄弟は多く、家は小さく、みんなで力を合わせていたと懐かしそうに話します。
> おじさんは中学卒業後、一生懸命働き小さな会社を興し成功しました。
> 親戚一同にも優しいおじさんです。
> もう皇室の話はやめて、こういうノスタルジックなブログだけにしたらいいのに…。胸にじ〜んときました



桜ふぶきさん、コメント有難う御座いました、そう言えば桜ふぶき、もう十何年も見ていませんねえ、

その昔、中学卒業後集団就職で上野へ、そして中小企業へと散っていった、その中で頑張って自分で町工場を興した、たくさんいましたね、彼らが日本の物造り産業を支えた、ある意味、いい時代でもありました。

もう、皇室の話はやめて、!!、、止めたいのですが、盆暗ナルが死んだらやめます(笑い)

Re: No title

2016.03.08.06:11

秘密のSさん、色々も人生ですね、ある程度の貧乏は耐える力を付ける事にもつながりますが、それが極端になれば性格自体を変え根性が品がひん曲がってしまう事もあります、私はこれまでの人生でそうなってしまった人間を何人も見ています、何事もほどほどなんでしょうが、そううまい事もありませんね。

コメント有難う御座いました。

とてもいいお話でした

2016.03.04.18:47

ブログ主さんは、私の母の一番下の弟(私と一回り歳が違う)のおじさんと同い年なのですね。
ウチの母たちも兄弟は多く、家は小さく、みんなで力を合わせていたと懐かしそうに話します。
おじさんは中学卒業後、一生懸命働き小さな会社を興し成功しました。
親戚一同にも優しいおじさんです。
もう皇室の話はやめて、こういうノスタルジックなブログだけにしたらいいのに…。胸にじ〜んときました

管理人のみ閲覧できます

2016.03.03.20:45

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: No title

2016.03.03.11:20

ナッチャン、育ったところがもし大阪の下町だったとすれば、山本周五郎の長屋人情話の世界でしょうね、私も大阪にはちょっと住んでいたことがありましたから、少し分かるような気がします。

ナッチャンは知らないかもしれませんが、フィリピン人、大阪人とよく似ています。おばちゃんのやかましい所もそっくり、タガログ語で人のうわさをすることをチスミス、チスモーサと言いますが、おばちゃんが集まるとそんな話で日がなしゃべっています。

関東人、ええ格好しいや、なんて持てませんでしたが(笑い)

Re: お久しぶりです

2016.03.03.11:10

うつくしさん、お育ちが私とは全く違うそうで(笑い)、小さい頃、それが分からなくてよかった。

私が育った環境、貧乏人も金持ちもなかった、隣が自転車を買えば、ではうちも、隣がテレビを買えばじゃ内も,味噌、醤油が足りなければちょっと貸して、酒屋には良く買いに行かされた、お金がない時は付けで、そんな生活が普通だった。

幼い時の極端の貧しさは人の性格を変えます、大人になってからそのような育ち方をして根性がひん曲がった人を何人か見ました。


皇室問題、これは育ちの問題よりも血の問題だと思っています、出自のDNAはいずれ出ます、部落、朝鮮、下賤の身は下賤だという事、それに尽きますね。

Re: No title

2016.03.03.10:57

> こんにちは。
>
> タオルが凍りつくような寒さは、知らないまま今まで来ました。
>
> 子ども時代、若かった頃、中年の頃。それなりにあれこれありましたが、今は、自分なりに幸せです。
>
> 皆さま、親父さんの今日のお記事で「しみじみ~」しておられて。
>
> こういうのもいいですね。
>
> みんな、それぞれながら、なんとなく、ここに集まって、しみじみ~。
>
> しみじみ~。
>
> 涙が出そうです。悲しい涙じゃないです。
>
> 年とって来て、悲しくては泣かなくなった気がします。昔のこまどり姉妹の歌みたいに(古~~~)
>
> ♪ つ~ら~いことに~は~泣かないけ~れ~ど~
>
> みたいな。うふふ、古い歌もあれこれ思い出します。


KUONさん、しみじみかな? これって多分今がそこそこ幸せだからかもしれませんね、だからこそ、過去を素直に振り変えられる。

歳をとると忘れてしまう事も多いけれど、ある意味、忘れる事も必要なのでしょう、そう思うようになりました。

Re: No title

2016.03.03.09:04

> 今日のブログは心に沁みました。
> カナダの親父様は私の母世代よりお若いですが、(母70歳)母から聞く子供時代はおとぎ話のような感覚でした。
> 靴がなく下駄で学校に行った、下駄が破れたら裸足で通学したとか、かまどでご飯を炊くのが仕事だった、米・しょうゆをその都度買に行かされたなど。
> さまざまな苦労話を語られた後、「私が育った子供時代や青春時代に比べたらあんたは幸せだ」と何度も何度も言われてもどうすればよいのか途方に暮れていました。
>
> 人の幸せの尺度は人それぞれ。羨んでも仕方ないと最近思うようになりました。
>
> 愛犬・愛猫がいて、息子がいて、仕事があって、健康で、良い出会いもあってしあわせだと思います。
> 親父様のアドバイス通り、不快なものやことはできるだけ関わらずに楽しく過ごせるように心掛けていきたいです。


うー助さん、この記事を書いた時、一瞬でしたがうーすけさんの事が頭をよぎりました、現在、ご苦労されていることはブログ記事を毎日読んでいるので知っています、ですので、そう思っていただいた、良かったと思っています。

何時か、頑張ってきて良かったと言うときが必ず来ます、そう思っていますよ!!

Re: No title

2016.03.03.08:58

> 自分といたしましては・・“今結構幸せ” このように感じています。
> 多くの友人たち(幼少期からこれまで様々な・・)に囲まれて楽しい人生だと感じています。
>  自分の家は小学校に上がるまで“電気のない”生活でした。
> 文字通り貧しい家でしたが、周りも同じような家でした。
>  今は特に不自由のない生活で“夢”に近い生活と感じています。
> ほんの些細なことでも幸せを感じています。
> 多くの仲間のおかげです。


がんこ爺さん、そうでしたか、確かに子供時代の事を思えば今の生活は夢かもしれませんね、あるい意味、小さい時からのお仲間がまだ周りにいる、うらやましい気もします。

ウナさんから、野焼きなんて提案がありました。私、あの匂いが好きでしたね!!

Re: はじめちょろちょろなか・・・・

2016.03.03.08:53

> 放火、もとい火起こしならオラにも・・・
> お早うございます
> 現代の子供は鼻もろくにかめないそうです
> 親がかめないので『子』にも教えられないからです
> コークスバケツに一杯のコークス
> 紙屑を握り絞り割りばし状の木切れを井桁に組み
> マッチで紙の端に火をつける次にバナナくらいの太さに
> 割っておいた薪をくべそしてコークスです
> 後は煙突が火の勢いを作りました
> 燃え盛るとストーブ自体が真っ赤に
> 中学のだるまストーブでした
> ・
> 齢をとるとことさら子供のころの記憶が鮮明になるみたいです
> 初めて磯に降り立った時を・・・
> はじめて海を見たときの驚きを場所と波の音を切り出せます
> ・
> みんなで集まって野焼き(焚火)でもしますか・・・

ウナさん、毎度、今はもうありませんが夕張鉄道、客車の中にストーブがありました、確かに歳をとると子供の時の思い出が鮮明に思いだされます。初めて見た海もそうでしたね。

野焼きかあ~、がんこ爺いさんにお願いしてみますかね!男はたき火とか野焼き好きですよね!!

Re: 同じような環境

2016.03.03.08:47

> 親父様 こんばんは
>
> ご存知のように私も近くの炭鉱町で生まれ育ちました
>
> 共同浴場帰りにタオルを振り回すとカチンカチンに凍ったことを思いだします
>
> 冬の石炭出し(チンプン・塊炭)は子供にはきつかったです
>
> ガンピ・デレキ・十能・・・みんな懐かしいですね
>
> 今でもアウトドアでは、火を起こすのは名人級です(笑)



長屋の爺殿、そうでしたね、台所の隣に石炭貯蔵庫があって冬は辛かった、デレキ、懐かしい名前です、こらあ、デレキ、しょわせんどー、よくそういって怒られました。

一緒に酒でも酌み交わしながら昔話でもしたいですね!!

Re: 幸せな思い出

2016.03.03.08:41

>  懐かしいーーー!!当時を思い出し胸が熱くなっちゃった~
>
み~~ちゃん、ゆっくり、昔話でもしましょうね、 
>  

No title

2016.02.29.19:22

こんばんは

子供の頃、そう裕福でもなかったですが
普通? に育ててもらったと思います。
両親、よく働き
ギリギリ借金だけはしなかったくらいだと思います。

実際生活してて、貧富を感じてなかっただけでの
脳天気な子供だったのかもしれませんが
山本周五郎の長屋人情話にでてきそうな
地域密着型の昭和でした(笑)

何が基本に貧乏って言うのか。。。
見る人から見れば
小学生で夜中も婆さんの内職手伝って
中学の頃には、少しでも早く働いて自立したいと思ったし
大学行きたいって言い出した時も
『お金無い』で終わりでした(笑)
成人する頃までは、家に浴室がなく
銭湯に行きそびれたら
裏庭でたらい、行水でした(笑)

でもそれが不憫だとか
自分が不幸だったなんて、微塵も思ってません。
最低限の読み書き算盤 できてる( ?かぁ? )だけでも
幸せだなぁ と思います。

平成の黄泉になって
何もかもが便利になり、効率化され、淘汰され
物質的にはシアワセなのかもしれませんが
どうもこの世は世知辛うございます。。。

自分は幸せか? と言われると
もんく言いながらも
これまでやって来たことも含め多分幸せだと思います。

でももし長らえてあと20年後の世の中が
幸せなんだろうか? と思うとどうも思えません。

昭和が懐かしくてしかたありません

お久しぶりです

2016.02.29.15:41

親父さまは、6月生まれですね。
私は12月で68です。
私の環境は都心で育ち、何でか
女中さんが沢山いて、ちやほや育ちました。学校の友達もだいたいそんな感じでした。幼稚園から高校まで
カトリックのミッションスクールでした。でも、我が国の見て子さんとは考えが違います。と言うか見ていられません。私たち、結構おっとりと育ちましたよ。
世間知らずではありましたが、
恥知らずではありませんでした。
見て子さんが結婚前に何とかパーティーで男の人と踊る写真を見て、驚きました。年下の私たちの時でさえ
男の人とお話をするのも人目を憚られた時代ですので。
それにカトリックって凄く厳しくて
停学や退学になりましたよ。
それから、人に騙されますが騙すことなど、罪の意識があり出来ません。また、目上や、男の人に対して
口答えなど致しませんでした。
今は、人前ではあくまでも夫を立て
家では、その反対になりますが。
見て子さんのように、公然として
女帝のように振る舞うことはありませんよ。
日本女性と致しましては。
そんなこんな、何不自由なく育つた私たちも、時代の波と共にそれぞれの苦労を背負い環境も散り散りばらばらとなりました。その中で自分たちが如何に井の中の蛙でいたのかを学びました。
天真爛漫さがありましたから、割と素直に現実を受け入れることも出来ました。
皇室の方々は、今有る身分は歴代先祖のおかげであることを深く感謝なさり、それを支えている国民の身になってお暮らし頂きたいものです。
と、僭越にも申し上げたい現状です。
庇護してくれていた父母も亡くなるか、介護する身になっている年代。
非道い環境のものが非道いことをするのだと思っていたのに、
何と最高の環境を与えられ、最高のものに囲まれながら、心の寂しい幸せでないお人もいるのだと感慨深いものがあります。

『秋の夜は更けて すだく蟲の音に
疲れた心癒す 我が家の窓辺
静かにほのぼのと幸せは此処に』
と、若き日に聴いた歌が甦って来ます。
これこれが本当の幸せですね。

No title

2016.02.29.15:33

こんにちは。

タオルが凍りつくような寒さは、知らないまま今まで来ました。

子ども時代、若かった頃、中年の頃。それなりにあれこれありましたが、今は、自分なりに幸せです。

皆さま、親父さんの今日のお記事で「しみじみ~」しておられて。

こういうのもいいですね。

みんな、それぞれながら、なんとなく、ここに集まって、しみじみ~。

しみじみ~。

涙が出そうです。悲しい涙じゃないです。

年とって来て、悲しくては泣かなくなった気がします。昔のこまどり姉妹の歌みたいに(古~~~)

♪ つ~ら~いことに~は~泣かないけ~れ~ど~

みたいな。うふふ、古い歌もあれこれ思い出します。





No title

2016.02.29.10:45

今日のブログは心に沁みました。
カナダの親父様は私の母世代よりお若いですが、(母70歳)母から聞く子供時代はおとぎ話のような感覚でした。
靴がなく下駄で学校に行った、下駄が破れたら裸足で通学したとか、かまどでご飯を炊くのが仕事だった、米・しょうゆをその都度買に行かされたなど。
さまざまな苦労話を語られた後、「私が育った子供時代や青春時代に比べたらあんたは幸せだ」と何度も何度も言われてもどうすればよいのか途方に暮れていました。

人の幸せの尺度は人それぞれ。羨んでも仕方ないと最近思うようになりました。

愛犬・愛猫がいて、息子がいて、仕事があって、健康で、良い出会いもあってしあわせだと思います。
親父様のアドバイス通り、不快なものやことはできるだけ関わらずに楽しく過ごせるように心掛けていきたいです。

No title

2016.02.29.05:58

自分といたしましては・・“今結構幸せ” このように感じています。
多くの友人たち(幼少期からこれまで様々な・・)に囲まれて楽しい人生だと感じています。
 自分の家は小学校に上がるまで“電気のない”生活でした。
文字通り貧しい家でしたが、周りも同じような家でした。
 今は特に不自由のない生活で“夢”に近い生活と感じています。
ほんの些細なことでも幸せを感じています。
多くの仲間のおかげです。

はじめちょろちょろなか・・・・

2016.02.29.02:06

放火、もとい火起こしならオラにも・・・
お早うございます
現代の子供は鼻もろくにかめないそうです
親がかめないので『子』にも教えられないからです
コークスバケツに一杯のコークス
紙屑を握り絞り割りばし状の木切れを井桁に組み
マッチで紙の端に火をつける次にバナナくらいの太さに
割っておいた薪をくべそしてコークスです
後は煙突が火の勢いを作りました
燃え盛るとストーブ自体が真っ赤に
中学のだるまストーブでした

齢をとるとことさら子供のころの記憶が鮮明になるみたいです
初めて磯に降り立った時を・・・
はじめて海を見たときの驚きを場所と波の音を切り出せます

みんなで集まって野焼き(焚火)でもしますか・・・

幸せな思い出

2016.02.29.00:42

 懐かしいーーー!!当時を思い出し胸が熱くなっちゃった~

 ハーモニカ長屋、隣近所のおばちゃんが子供を叱る声、夫婦喧嘩の怒鳴り合う声まで聞こえ賑やかでした。 
ガンビの皮を使い石炭ストーブに火をいれる。石炭は豊富です、いつもストーブは明々燃えていました。暖かい光景でした。
 そうそう炭坑のお風呂は大きかったですね。中央に畳敷きの大きな台があり、赤ちゃんを寝かせたり、湯上がりの体を拭きながらお母さん達は腰を下ろし世間話に夢中だったり…しばれる中わざわさタオルをさらしコチンコチンに凍らせて、乾ききっていない髪の毛まで凍りついていましたね。寒さも忘れて遊びながら家に帰ると、夕飯の支度が出来ていて円形のテーブルで、父を中心に楽しい食卓を囲みました。  貧しくともそれなりの幸せがありましたね。 遠い思い出のはずなのに何故が鮮明に思い出されます。
           博覧会!私も行きましたよ~ 父母と弟と 混み合った列車に押し込まれ……初めて目にするテレビには驚きました!テレビには人気子役の松島トモ子が大きく映っていたのをハッキリと覚えています。 多分ですが……「岩見沢博覧会」だったと思います。
もしかして…親父様とすれ違っていたのかもしれませんね(笑える) そんな ささやかな思い出を大切に持ち続ける事も幸せなんだと思います。     健康である幸せ、富を手に入れた幸せ、立派な子供に恵まれた幸せ、、、 人の価値観はそれぞれですから、幸せの形も色々なんでしょうね。 
♪人生色々♪ってことかな?
 
 久々懐かしい炭坑生活を思い若かかりし頃の父と母を偲んでいましたら涙が止まりませんでした。 
そんな訳で遅い時間のコメントになってしまい申し訳ありません。

 明朝は病院…検査の日です。 早く眠りたいのですが、思い出ぼろぼろで眠れないかも~(笑) 
 

同じような環境

2016.02.28.22:37

親父様 こんばんは

ご存知のように私も近くの炭鉱町で生まれ育ちました

共同浴場帰りにタオルを振り回すとカチンカチンに凍ったことを思いだします

冬の石炭出し(チンプン・塊炭)は子供にはきつかったです

ガンピ・デレキ・十能・・・みんな懐かしいですね

今でもアウトドアでは、火を起こすのは名人級です(笑)
プロフィール

わがまま、親父

Author:わがまま、親父
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カナダ、トロント近郊に住む、死に損ないの爺いです。余命わずかなので勝手な事を書き散らしています。

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