ギフト 贈り物。
2015.09.25.22:15
世の中にスピリチュアルな世界に嵌る、あるいはそういう精神世界を信じている方が結構いらっしゃる、そういう世界が実際に存在しているのかどうかは私自身が体験していないので何とも言えないが、一概にそんなものはないと否定するつもりはない。
私はいわゆる占いというのは信じてはいないが、例えば霊視とか透視とか霊感とか、極めて稀な例としては有るかも知れないと思っている。
それは一昔前に立花隆の書いた臨死体験という本を読んだ事があって、臨死体験者の話がいくつもの例として書かれていた。
この話の結論としては死亡と診断されたとしても実際には脳の機能が完全には停止しておらず、何かの形で映像を記憶していてそれが死後の世界を見たという話しになるのでは、そんな事だった。
だが、たとえ、そのような現象であったとしても死後世界からの生還者、臨死体験者の話として世の東西に関係なく、その話の内容はよく似ていて共通している事もあって単なる脳の機能が死んでいなかったので起きた、そうばかりとは言えない気もする。
この臨死体験者の多くが語る話として幽体離脱がある、それは共通していて死亡した自分の体から魂が離脱して、その上からそれをみている自分があったという話、そしてその後、光のトンネルを通って光り輝く美しい世界が待っていたという。
この話が宗教でいう天国なのか、あるいは仏教でいう極楽浄土なのかは分からないが、霊的能力を持つ方しか経験できないのであろうし、おそらく、本人も知らなかったが結果的にそのような能力があったのであろうと思っている。
臨死体験、これは死亡は確認されて、それが何かの拍子で死から生還した僅かな時間での間での話であって、完全に事故やその他の理由で帰るべき肉体が消滅している場合の話ではない。
はっきりしているのは肉体が消滅しているに死後の世界から蘇って、その世界を語った例は全くない、その意味ではイエスキリストの復活や、イタコが黄泉の世界の住民と会話ができると言った話とは全く次元が違う話で、ある意味宗教的な話になり別ものであると思っている。
世の中にはある種の極めて特殊な能力を持つ方がいる、私はそれらの能力をギフト、贈り物と考えている。
その能力とは訓練して出来たものではない、突出した能力、例えば自閉症児が持つ特殊な才能、極めて高い記憶能力、写真のように一度見た映像を鮮明に記憶しており、それを完全に復元できる能力、あるいは絶対音感、一度聞いた音楽を完全に記憶しており音として間違いなく再現できる能力、将棋やチェス、子供であっても天才的な技能を持つ能力、動態視力に優れ一般の人間には見えない物を見る事が出来る能力、コンピューター並の計算能力を持つ者、
一方では天地異変、未曽有の大災害を予知できる能力、その体発する何等かの力で病人を直すの能力、言葉を介さないで相手とコミニケーションが取れる能力、
更には音楽でいえば天才的な楽器奏者、声楽でいえば持って生まれた驚異の歌声、大作曲家と言われた人々、あるいは天才と言われた芸術家達。
だが人間としては問題を抱えていたり、見た目、愚鈍に見えたり、むしろ日常生活でいえば不適格生活者だったりするが、その持つ特殊能力は何故そうなのかは今の科学では説明できない。
また、通常、ノーマルな人間であった者が何等かの事故や災害で脳に損傷を受け、その後極めて特殊な能力を持つ事もある。これも何故そうなったのかは今の医学でも解明されていない。
よく、人間の脳はその能力の50%も使われてはいないと言う、では先に書いた生まれつきの特殊能力を含め、事故後や何かしらの脳の損傷で脳細胞が変化して脳細胞の一部が極めて特化した結果なのか、これは私にもわからないし、おそらく世の医学者や科学者でもまだ未知の分野だと思う。
私はまだ神の存在という者に対しては信じてはいない、信じてはいないが、例えば霊視能力,透視能力、各分野における特殊能力は神からの贈り物、ギフトではないかと考えている。それはそう考えないと説明できないからだ。
ただ言っておきたいのはそれら特殊能力があると称して、それを商売にしている人間については信用はしてはいない。
だが、これらの特殊能力、場合によっては才能と呼んでもいいが、それらを持つ者達がその能力を認識しているのか、あるいはその能力の持つ価値を知っているのかと問われれば、多くの場合、むしろ戸惑ったり恐れを感じている者が多い。
自分は普通の人間ではないと感じるからだろうと思う。
人には見えないものがみえたり、ノイズ、雑音としか聞こえないのにその内容が理解出来たり、写真のように一度見た物は鮮明な映像として記憶できたり、かえって恐れを抱くのだと思う。
ギフト、残念ながら私には何の贈り物はなかった、それはそれで良かったと思っている、持ってうまれた分で生きている、足りない分は勉強し、経験し、それで生きてきた。
何の才能もない分、訓練や努力で何とかなる事も多い、臨死体験もないから死後の世界も知らない、霊視や透視能力もないから先の世界や未来についても予言も出来ない、その先がより良い世界なのか、あるいはもっと悪くなるのかも分からない。
子供がいないから、子供や孫達の将来を心配することもない、残りの余生、どうやって生きる、それもない。
よく、神秘主義者とか霊的心霊主義者がいう地球的規模でのアセッション、浄化が起るという説、キリスト教世界でいう世の終わり、科学者のいう地球規模での天地異変、それが本当に来るのかどうか、仮にあるとしてもその時には生きてはいないし、したがって関心もない。
結局、一番大事な事は生きている時が大事であって、死んだら全ては終わるという事、そしてこれはギフトを持つ者も、何の才能を持たない者にも公平にやってくるという事、それが早いか遅いかの違い、また早いか遅いの場合は運、不運もあるし、どうする事もできない。
だからと言って生きて生まれた以上、懸命に生きなかればならないとか、世の中の為とか人の為に役立つ生き方をしなければならないとか、そう思う人はそれでいいし、別に文句はない。
人生、何が大事かはそれぞれが決めればよいし、それぞれの価値観で生きればいい、別に人生に達観している訳ではなくもう余命がそんなに長くないと知ればそうのような考え方になっただけの事。
だが、たった一つ、これはあり得るのではないかという説がある、それは輪廻、リンインカーネーション(生まれ変わり)人間が死ねば肉体や記憶は消滅するが、魂は生まれ変わって次の時代で新しい命として誕生するのでは、、、、、別にこの説を信じている訳ではないが、あってもいいなと思っている。
チベットのダライラマの選ばれ方、このような生まれ変わり説からきている。
ただ、条件があって人間で死んだらやはり人間として誕生したいし、虫や動物では嫌だ、また、女としても生まれたくない(出産の苦しみはしたくない)、朝鮮人や中国人としても生まれたくない、ピグミーやホッテントットも嫌、人食い人種も嫌、
とにかく前世の記憶がないのだから何でもいい筈だが、それでも日本人に生まれて良かったので、願わくは又生まれ変わるのであれば日本人として誕生したい。
相変わらず下らん事を書き散らしているが、たまにはこういう話も面白いと思って書いた。
支離滅裂な文面だが出来上がって書いる訳ではない、誤解があるかもしれないので念の為(笑い)
追記
前の記事で洒落として生前葬の話を書いた、この記事結構関心を呼んだようで、かなりの方が是非参加したいというようなお話が来ている、勿論参加を表明されている方は遊び心をもって来られると思っているが、この記事で書いたように願望として生まれ変わりがある、そんな事もあって形だけとはいえ一辺死んでしまう必要性があるようだ、生前葬、なにか仕切ってくれる女性もあったり、具体的に動きそう、
けれど、親父の生前葬、参加者を求むなんて呼びかけも馬鹿みたいな話で、さてどうしたものか? まあ、下らない話なんだが!!
私はいわゆる占いというのは信じてはいないが、例えば霊視とか透視とか霊感とか、極めて稀な例としては有るかも知れないと思っている。
それは一昔前に立花隆の書いた臨死体験という本を読んだ事があって、臨死体験者の話がいくつもの例として書かれていた。
この話の結論としては死亡と診断されたとしても実際には脳の機能が完全には停止しておらず、何かの形で映像を記憶していてそれが死後の世界を見たという話しになるのでは、そんな事だった。
だが、たとえ、そのような現象であったとしても死後世界からの生還者、臨死体験者の話として世の東西に関係なく、その話の内容はよく似ていて共通している事もあって単なる脳の機能が死んでいなかったので起きた、そうばかりとは言えない気もする。
この臨死体験者の多くが語る話として幽体離脱がある、それは共通していて死亡した自分の体から魂が離脱して、その上からそれをみている自分があったという話、そしてその後、光のトンネルを通って光り輝く美しい世界が待っていたという。
この話が宗教でいう天国なのか、あるいは仏教でいう極楽浄土なのかは分からないが、霊的能力を持つ方しか経験できないのであろうし、おそらく、本人も知らなかったが結果的にそのような能力があったのであろうと思っている。
臨死体験、これは死亡は確認されて、それが何かの拍子で死から生還した僅かな時間での間での話であって、完全に事故やその他の理由で帰るべき肉体が消滅している場合の話ではない。
はっきりしているのは肉体が消滅しているに死後の世界から蘇って、その世界を語った例は全くない、その意味ではイエスキリストの復活や、イタコが黄泉の世界の住民と会話ができると言った話とは全く次元が違う話で、ある意味宗教的な話になり別ものであると思っている。
世の中にはある種の極めて特殊な能力を持つ方がいる、私はそれらの能力をギフト、贈り物と考えている。
その能力とは訓練して出来たものではない、突出した能力、例えば自閉症児が持つ特殊な才能、極めて高い記憶能力、写真のように一度見た映像を鮮明に記憶しており、それを完全に復元できる能力、あるいは絶対音感、一度聞いた音楽を完全に記憶しており音として間違いなく再現できる能力、将棋やチェス、子供であっても天才的な技能を持つ能力、動態視力に優れ一般の人間には見えない物を見る事が出来る能力、コンピューター並の計算能力を持つ者、
一方では天地異変、未曽有の大災害を予知できる能力、その体発する何等かの力で病人を直すの能力、言葉を介さないで相手とコミニケーションが取れる能力、
更には音楽でいえば天才的な楽器奏者、声楽でいえば持って生まれた驚異の歌声、大作曲家と言われた人々、あるいは天才と言われた芸術家達。
だが人間としては問題を抱えていたり、見た目、愚鈍に見えたり、むしろ日常生活でいえば不適格生活者だったりするが、その持つ特殊能力は何故そうなのかは今の科学では説明できない。
また、通常、ノーマルな人間であった者が何等かの事故や災害で脳に損傷を受け、その後極めて特殊な能力を持つ事もある。これも何故そうなったのかは今の医学でも解明されていない。
よく、人間の脳はその能力の50%も使われてはいないと言う、では先に書いた生まれつきの特殊能力を含め、事故後や何かしらの脳の損傷で脳細胞が変化して脳細胞の一部が極めて特化した結果なのか、これは私にもわからないし、おそらく世の医学者や科学者でもまだ未知の分野だと思う。
私はまだ神の存在という者に対しては信じてはいない、信じてはいないが、例えば霊視能力,透視能力、各分野における特殊能力は神からの贈り物、ギフトではないかと考えている。それはそう考えないと説明できないからだ。
ただ言っておきたいのはそれら特殊能力があると称して、それを商売にしている人間については信用はしてはいない。
だが、これらの特殊能力、場合によっては才能と呼んでもいいが、それらを持つ者達がその能力を認識しているのか、あるいはその能力の持つ価値を知っているのかと問われれば、多くの場合、むしろ戸惑ったり恐れを感じている者が多い。
自分は普通の人間ではないと感じるからだろうと思う。
人には見えないものがみえたり、ノイズ、雑音としか聞こえないのにその内容が理解出来たり、写真のように一度見た物は鮮明な映像として記憶できたり、かえって恐れを抱くのだと思う。
ギフト、残念ながら私には何の贈り物はなかった、それはそれで良かったと思っている、持ってうまれた分で生きている、足りない分は勉強し、経験し、それで生きてきた。
何の才能もない分、訓練や努力で何とかなる事も多い、臨死体験もないから死後の世界も知らない、霊視や透視能力もないから先の世界や未来についても予言も出来ない、その先がより良い世界なのか、あるいはもっと悪くなるのかも分からない。
子供がいないから、子供や孫達の将来を心配することもない、残りの余生、どうやって生きる、それもない。
よく、神秘主義者とか霊的心霊主義者がいう地球的規模でのアセッション、浄化が起るという説、キリスト教世界でいう世の終わり、科学者のいう地球規模での天地異変、それが本当に来るのかどうか、仮にあるとしてもその時には生きてはいないし、したがって関心もない。
結局、一番大事な事は生きている時が大事であって、死んだら全ては終わるという事、そしてこれはギフトを持つ者も、何の才能を持たない者にも公平にやってくるという事、それが早いか遅いかの違い、また早いか遅いの場合は運、不運もあるし、どうする事もできない。
だからと言って生きて生まれた以上、懸命に生きなかればならないとか、世の中の為とか人の為に役立つ生き方をしなければならないとか、そう思う人はそれでいいし、別に文句はない。
人生、何が大事かはそれぞれが決めればよいし、それぞれの価値観で生きればいい、別に人生に達観している訳ではなくもう余命がそんなに長くないと知ればそうのような考え方になっただけの事。
だが、たった一つ、これはあり得るのではないかという説がある、それは輪廻、リンインカーネーション(生まれ変わり)人間が死ねば肉体や記憶は消滅するが、魂は生まれ変わって次の時代で新しい命として誕生するのでは、、、、、別にこの説を信じている訳ではないが、あってもいいなと思っている。
チベットのダライラマの選ばれ方、このような生まれ変わり説からきている。
ただ、条件があって人間で死んだらやはり人間として誕生したいし、虫や動物では嫌だ、また、女としても生まれたくない(出産の苦しみはしたくない)、朝鮮人や中国人としても生まれたくない、ピグミーやホッテントットも嫌、人食い人種も嫌、
とにかく前世の記憶がないのだから何でもいい筈だが、それでも日本人に生まれて良かったので、願わくは又生まれ変わるのであれば日本人として誕生したい。
相変わらず下らん事を書き散らしているが、たまにはこういう話も面白いと思って書いた。
支離滅裂な文面だが出来上がって書いる訳ではない、誤解があるかもしれないので念の為(笑い)
追記
前の記事で洒落として生前葬の話を書いた、この記事結構関心を呼んだようで、かなりの方が是非参加したいというようなお話が来ている、勿論参加を表明されている方は遊び心をもって来られると思っているが、この記事で書いたように願望として生まれ変わりがある、そんな事もあって形だけとはいえ一辺死んでしまう必要性があるようだ、生前葬、なにか仕切ってくれる女性もあったり、具体的に動きそう、
けれど、親父の生前葬、参加者を求むなんて呼びかけも馬鹿みたいな話で、さてどうしたものか? まあ、下らない話なんだが!!