愛情には種類がある。
2014.04.29.11:58
先週の金曜日、ビューイング、日本でいうと通夜と葬式があり妻と2人で行ってきた。
亡くなれた方は同じ教会員のご主人で日本人、享年65歳、私と違って無口な人だった。歳は私と同じで、長年腎臓病を患い人工透析で命を保ってきたが、最後は肺炎の合併症で亡くなった。
カナダは火葬も土葬も選べる、この方は土葬だった、
土葬の場合、金属性の立派なお棺に扉が2つついていて上半身が見えるようにしてある、今は葬儀屋の技術も素晴らしく、見た目は眠っているようにしか見えない。
残された遺児達はすでに成人しており、長年のわずらいで覚悟もしていたのだろう、もちろん悲しみはあったと思うが淡々としていたのに比べ、残された妻の慟哭には思わず涙が出た。
妻、夫の長年の療養生活で実際にはこの妻が生活を支えた、彼女は父が日本人、母がスリランカ人、母の家系は立派な出自で良い教育を受け、特にピアノは専門的な教育をうけ、プロの演奏家としてもやっていける程の腕前である。
夫の収入の不安定さをこのピアノを教えることで家計を支えてきた、また、妻としてご主人に尽くしてきた、立派な御婦人であった。
この女性、普段は女性としても気丈な人として映っていた、だがそう思っていたその女性、出棺が始まるまでそのお棺に寄り添い、遺体に頭を寄せ慟哭していた。貴方~と泣き叫んでいた、切なかった。
他人には理解できないくらいご主人を深く愛していたのであろう。
同じ家族、身内と言っても愛情には温度差があるようだし、両親と子供、祖父母、その関係でも違いはあるかもしれないが、ただ、夫婦の愛情、夫と妻、これは愛情としては特別なものかもしれない、葬儀に参列してそう思った。
夫婦、元はなんの関係もない赤の他人である、それが一緒になり年月が経って親になり祖父母にもなる、しかし、夫婦の関係、絆は変わらない。
夫婦、魂まで深く結びついた夫婦もあれば、仮面夫婦や愛情がもうすでにないのに打算で一緒にいる夫婦もある。あるいは別れるのが面倒だ、子供のためだ、まあ、しょうがないから、その形は千差万別、しかし、その一方、片方が亡くなった、その悲しみに耐えられず後追い自殺をしたり、特に夫の場合、妻が亡くなって腑抜けのようになってしまう方もある
また、大恋愛の末、一緒になったが1と月で離婚という事もよくある、夫婦、不条理な存在、そう云えるかもしれない。
私の両親は私がまだ小さい頃に離婚をした、結果的にはそのおかげで現在の私がある、だから離婚については肯定的な見方をとる、世の中には理屈ではなく、どうしても合わない男女の組み合わせが存在する、これは我慢とか理解するとの範疇を超えたもので努力すればなんとかなる、、、そういうものではない。
だから早い段階で私達は駄目だと気付けば直ぐ別れた方がよい、そう思う。
逆にこのご主人を亡くされた夫人の愛情の深さ、もちろん他人には伺いしれない種類のものだと思うが興味深い。
私の葬儀に妻が棺にすがって泣き崩れるか、それは知らないが興味はある。いずれにしても私の場合、遺言で葬式はなし
墓もなし、火葬して散骨と言ってある、まだ、文書にはしていないがいずれする予定。
ただ、妻が先に逝ったらどうしよう、多分そんなことはないと思うが、そういえば葬式の帰りの車の中で妻がこんな事を言っていた、、
貴方、私が死んだら、きっと再婚すると思う、多分またフィリピンの若い女性と一緒になるんだわ、、、、、、、、、どうしてそんな結論になるのか、なぜ若い女性なのか、なぜ、フィリピン人なのか!
流石、あきれて返事はしなかったが、これってまだ愛されているのだろうか、、、、、枯れ葉爺いにはよく分からん話ではある、なぜなら私がそんな元気がないことを妻が一番知っているはずなのに!!!
余談だが、妻の言った話、思い当たる節もある、それは妻の従弟、ロスアンゼルスに住むもう70近い男、メキシコ人の妻と離婚して長く、もう孫までいるが、この彼何を思ったのか再婚したくてフィリピンの田舎までいってフィリピン妻を探して一緒になった、私の家に生まれたばかりの赤ちゃんと年の離れた若い嫁と来た事がある。
彼はアメリカ国籍、彼曰く、アメリカのパスポート、額に張り付けていったら田舎では沢山の若い女性がお見合いにやってきたそうだ、そうして選んだのが若い妻だった。ただ、この話には笑い話というか落ちがあって、この若い妻、ご婦人どうしのあけっぴろげな話で、私の主人、歳の割には夜の生活、強いのよ、と自慢していたそうだ、
この話、、従弟の話によれば最初はバイアグラを使用して連夜、頑張ったそうだ、しかし薬代も高い、年金生活ではそうそう買えない、従って、最近はそういうムードになると用事を作って逃げているといっていた(笑い)
しかし、実際に孫よりも小さい赤ちゃん、一体、何を考えているのか、でもこの妻の従弟、面白くて大好きな人間である。
これも余談だが、私は最近では唄わないが演歌が好きで昔は酔うとよく唄っていた。だが演歌の世界に出てくる女性、今時、このような女性、存在しない(笑い),,,何故ならこの演歌の作詞家の多くが男性、それも中年か老年、まあ、これは男性が女性にそうあって欲しいという願望だと思うが、実際にはありえない。
私は長年の経験により(どんな経験だ?その突込みは別として)女々しい、これは男性にあてはめられる言葉だと思っている。それが証拠に男と女の別れ話でこじれる場合、ストーカー行為をするこれは圧倒的に男性の方が多い。
また、よく焼けぽっくりに火がつく、これも同様の話で別れた後では男性の方が未練を引きずるし男性の方が乞われればその気になるケースが多い。
その点、女性は一旦関係が切れればそれでお終い、後は振り返らない、はっきりしている。これは世界に共通していて日本だけではない。ただしアマゾン奥地の原住民やアフリカ未開の土着民についてはこの限りではないと思うが"
もう一つ、同性愛者同士での女役、これも同様で男性なのだが気持ちは女性、関係が切れた後は普通の女性と同じ、さばさばしたものだ。
今日の記事、最後はくだらない話になってしまった(笑い)。
亡くなれた方は同じ教会員のご主人で日本人、享年65歳、私と違って無口な人だった。歳は私と同じで、長年腎臓病を患い人工透析で命を保ってきたが、最後は肺炎の合併症で亡くなった。
カナダは火葬も土葬も選べる、この方は土葬だった、
土葬の場合、金属性の立派なお棺に扉が2つついていて上半身が見えるようにしてある、今は葬儀屋の技術も素晴らしく、見た目は眠っているようにしか見えない。
残された遺児達はすでに成人しており、長年のわずらいで覚悟もしていたのだろう、もちろん悲しみはあったと思うが淡々としていたのに比べ、残された妻の慟哭には思わず涙が出た。
妻、夫の長年の療養生活で実際にはこの妻が生活を支えた、彼女は父が日本人、母がスリランカ人、母の家系は立派な出自で良い教育を受け、特にピアノは専門的な教育をうけ、プロの演奏家としてもやっていける程の腕前である。
夫の収入の不安定さをこのピアノを教えることで家計を支えてきた、また、妻としてご主人に尽くしてきた、立派な御婦人であった。
この女性、普段は女性としても気丈な人として映っていた、だがそう思っていたその女性、出棺が始まるまでそのお棺に寄り添い、遺体に頭を寄せ慟哭していた。貴方~と泣き叫んでいた、切なかった。
他人には理解できないくらいご主人を深く愛していたのであろう。
同じ家族、身内と言っても愛情には温度差があるようだし、両親と子供、祖父母、その関係でも違いはあるかもしれないが、ただ、夫婦の愛情、夫と妻、これは愛情としては特別なものかもしれない、葬儀に参列してそう思った。
夫婦、元はなんの関係もない赤の他人である、それが一緒になり年月が経って親になり祖父母にもなる、しかし、夫婦の関係、絆は変わらない。
夫婦、魂まで深く結びついた夫婦もあれば、仮面夫婦や愛情がもうすでにないのに打算で一緒にいる夫婦もある。あるいは別れるのが面倒だ、子供のためだ、まあ、しょうがないから、その形は千差万別、しかし、その一方、片方が亡くなった、その悲しみに耐えられず後追い自殺をしたり、特に夫の場合、妻が亡くなって腑抜けのようになってしまう方もある
また、大恋愛の末、一緒になったが1と月で離婚という事もよくある、夫婦、不条理な存在、そう云えるかもしれない。
私の両親は私がまだ小さい頃に離婚をした、結果的にはそのおかげで現在の私がある、だから離婚については肯定的な見方をとる、世の中には理屈ではなく、どうしても合わない男女の組み合わせが存在する、これは我慢とか理解するとの範疇を超えたもので努力すればなんとかなる、、、そういうものではない。
だから早い段階で私達は駄目だと気付けば直ぐ別れた方がよい、そう思う。
逆にこのご主人を亡くされた夫人の愛情の深さ、もちろん他人には伺いしれない種類のものだと思うが興味深い。
私の葬儀に妻が棺にすがって泣き崩れるか、それは知らないが興味はある。いずれにしても私の場合、遺言で葬式はなし
墓もなし、火葬して散骨と言ってある、まだ、文書にはしていないがいずれする予定。
ただ、妻が先に逝ったらどうしよう、多分そんなことはないと思うが、そういえば葬式の帰りの車の中で妻がこんな事を言っていた、、
貴方、私が死んだら、きっと再婚すると思う、多分またフィリピンの若い女性と一緒になるんだわ、、、、、、、、、どうしてそんな結論になるのか、なぜ若い女性なのか、なぜ、フィリピン人なのか!
流石、あきれて返事はしなかったが、これってまだ愛されているのだろうか、、、、、枯れ葉爺いにはよく分からん話ではある、なぜなら私がそんな元気がないことを妻が一番知っているはずなのに!!!
余談だが、妻の言った話、思い当たる節もある、それは妻の従弟、ロスアンゼルスに住むもう70近い男、メキシコ人の妻と離婚して長く、もう孫までいるが、この彼何を思ったのか再婚したくてフィリピンの田舎までいってフィリピン妻を探して一緒になった、私の家に生まれたばかりの赤ちゃんと年の離れた若い嫁と来た事がある。
彼はアメリカ国籍、彼曰く、アメリカのパスポート、額に張り付けていったら田舎では沢山の若い女性がお見合いにやってきたそうだ、そうして選んだのが若い妻だった。ただ、この話には笑い話というか落ちがあって、この若い妻、ご婦人どうしのあけっぴろげな話で、私の主人、歳の割には夜の生活、強いのよ、と自慢していたそうだ、
この話、、従弟の話によれば最初はバイアグラを使用して連夜、頑張ったそうだ、しかし薬代も高い、年金生活ではそうそう買えない、従って、最近はそういうムードになると用事を作って逃げているといっていた(笑い)
しかし、実際に孫よりも小さい赤ちゃん、一体、何を考えているのか、でもこの妻の従弟、面白くて大好きな人間である。
これも余談だが、私は最近では唄わないが演歌が好きで昔は酔うとよく唄っていた。だが演歌の世界に出てくる女性、今時、このような女性、存在しない(笑い),,,何故ならこの演歌の作詞家の多くが男性、それも中年か老年、まあ、これは男性が女性にそうあって欲しいという願望だと思うが、実際にはありえない。
私は長年の経験により(どんな経験だ?その突込みは別として)女々しい、これは男性にあてはめられる言葉だと思っている。それが証拠に男と女の別れ話でこじれる場合、ストーカー行為をするこれは圧倒的に男性の方が多い。
また、よく焼けぽっくりに火がつく、これも同様の話で別れた後では男性の方が未練を引きずるし男性の方が乞われればその気になるケースが多い。
その点、女性は一旦関係が切れればそれでお終い、後は振り返らない、はっきりしている。これは世界に共通していて日本だけではない。ただしアマゾン奥地の原住民やアフリカ未開の土着民についてはこの限りではないと思うが"
もう一つ、同性愛者同士での女役、これも同様で男性なのだが気持ちは女性、関係が切れた後は普通の女性と同じ、さばさばしたものだ。
今日の記事、最後はくだらない話になってしまった(笑い)。