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ブラッキーが逝ってしまって1週間が経った。

2013.07.29.22:08

先ず、ブラッキーが亡くなり、それら一連の事で沢山の方々からお見舞いや励ましのお言葉を頂き、感謝申しあげます。

私自身、落ち込んでいましたが、亡くなった愛犬が生き返る訳でもなく、ようやくその現実に向かい合う気持ちになれてきたように思います。

とは言え、胸にはぽっかり大きな穴があいて風が吹き抜けているような気はしますが、時間の経過と共に少しずつではありますが元気も出てきました。

今回、失った対象、それが犬であれ、人間であれ愛した者を失う、その悲しみの大きさがよく分かりました。そして残された者がどのような気持ちに成るか、実感できました。

その意味では私は本当にわがまま親父そのものだった、そう思います。

世の中には私よりもっと辛い状況の方が沢山いらっしゃる、私達夫婦の共通の友人、その息子、大学生が鬱病の向精神薬の副作用により症状が返って悪化、自殺してしまった。、、、だが、その話し聞いてもその親の悲しみを実感できなかった。

愛し、将来を夢見ていた大事な息子、それを親の不注意、そう親御さんは言っていたが、それは親の自責の念としての話しで突発的な自殺、防ぎようがなかった。

その悲しみの深さ、今は理解できる。


私にも私を心配してくれる妻があり親があり、そして兄弟、友人があった。しかし、それらの思いについて今まで余りにも無頓着、自分勝手な思いだけで生きてきた。

どんな生き方をしようがどんな死に方をしようが俺の人生、俺が決める、そう思ってきた。、、、、、、、、、

馬鹿であった。




先日、元牧師の阿嘉先生の娘さんのグレイスにブラッキーの肖像画を頼んだ、私の部屋にはブラッキーの写真をPCで拡大して額に入れ、部屋中、ブラッキーの写真の囲まれている。

人は色んな方法で悲しみの癒える方法をもつのであろうが、私の場合、PCの合間に見るブラッキーの写真で良い思い出だけが甦る。


今までの自分勝手な生き方、その事をブラッキーが気づかさしてくれた。


沢山の方々から頂いたコメント、大変遅くなりましたが今日からぼちぼちお返事を書きたいと思っています。

有難う御座いました。



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先ほどブラッキーとの朝の散歩から帰ってきた。

2013.07.24.01:03

画像 011

先ほど、毎日行っていたブラッキーとの朝の散歩から帰ってきた。、、、、、、、、、、、、、、、、、、

あいにく、ブラッキーは天国へ行って留守だったのでブラッキーの首輪とリースの紐器具を持っていつも2人で歩いていた公園の散歩道、ゆっくり周ってきた。

公園で犬仲間の人達、何人から声をかけられた、皆知っていた、ブラッキーが年寄り犬だったと事を”、、、、、

ワンちゃんは?,,,の問いに私、逝ってしまいましたと。、、、、皆、慰めてくれた。



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帰ってきてからブラッキーのベッドにブラッキー関連、並べてみた。

シャンプー、食事のお皿、リース器具、散歩紐、毛ブラシ、好きだったドッグフード、缶詰、そしてブラッキーの毛玉、、、、

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ブラッキーの絵も壁にかけた。


何もすることがないのでこんな事をしている。

そういえば今日はブラッキー、火葬にされる日だった。



どなたが仰ってくれた、ブラッキーは親父の心と家で生きている、だからブラッキーが生きている時と同じように声をかけ、形だけでもいいから餌をつくる、、、、、

そんな事もあって今日から実行している。







コメントを頂いている皆様へ、愛犬に死なれてへこんでいるへたれ親父です。、、、ご返事は多少遅くなりますが、必ず、返信いたします。

暫く、お待ち下さい。

2013年7月21日、1時30分、我が愛犬、逝ってしまった。

2013.07.22.04:20

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この写真がブラッキーが生きている時の最後の写真になってしまった。安楽死の5分前、、、、、、、、もう、ぐったりして起き上がる事は出来なかったが、今までいきてくれて有難う、さようなら、といったら、目で応えてくれた.辛かった。





20歳の誕生日を後1ヶ月を前にして我が愛犬ブラッキー、逝ってしまった。

昨日の夜、大量の血便を出した。付き添って寝たが、余りに汚れと匂いがあるのでビニールベッドに寝かしたまま、洗ってあげた、綺麗になった所、今度は大量の嘔吐それも殆どが血であった。


前からかかりつけの比国人の動物医、彼からは相当苦しみがあるので安楽死をさせたほうが良い、そう言われていた。

もう寝たきり、血便の混じった下痢の繰り替えし、水も飲めない、何も食べられない、それでも息はしていた。
それでも、自然にまかせてと思っていた。

だが、今日の朝、辛い決断をした。

動物病院で安楽死を願った。

安楽死を前にドクターの最後の診断はこのまま放置しても後、そう長くは無いこと、腎臓も駄目、特に胃から大量の出血があり手の打ちようが無いこと、辛い選択とは思うが、眠るように死んでいく、犬の苦しみと痛みとを考えればその方が良い、そんな話しだった。


処置室のソフアー、私に抱かれながらブラッキー、旅立ってしまった。あっという間であった。

暫く抱き続けていた、まるで眠っているようだった、ブラッキーと呼べば目を明けて私の顔を見るかも知れないと思った。

だが、もう目は覚まさない、逝ってしまっていた。こんなにも命があっけないないのか、、、、、、、、、、、、


もう外から帰っても尻尾を振って迎えてくれるものもいない、食事をしている私の横に座り、じっと食べ物をくれるのを待っている存在もいない。

昼ねをしている私に鼻をくっつけて早く散歩に連れていけなんていう存在もいない。

私は最後まで安楽死には抵抗していた、それは弱っているが息はしていて現に生きている、私をまだ認識できる、何故その命を絶たねばならぬか!,,,,,,

だが、妻に泣かれた、お願いだからこれ以上ブラッキーを苦しめないで、早く楽にしてあげて”、、、、、、、

その声で決心した。



2週間後、ブラッキー骨壷に入って帰ってくる。

ブラッキーを可愛がってくれた何人かと自宅でささやかなお別れ会を考えている。

ブラッキー臨終の際、勿論涙は出たが、多分これから時間が経過すると共にその寂寥感は増すと思う。


有難うブラッキー、20年よく生きてくれた、お前がいたおかげで私も生きてこられた、、、、、、、、



この記事の最後に、一連のブラッキー関連記事に対し、温かい励ましや労り、御心配のコメントを頂いた皆様、一人一人に感謝と御礼を申し上げます。

有難うございました



追伸

ブラッキーの写真を見ながら一人でブラッキーの葬式をしています。葬式と称して酒も飲んでいます。
そこら中にブラッキーの遺品があります。
ベッド、毛布、食事の缶から、紐、食べられなかったドッグフード、ブラッキーと呼んだらその辺から出てきそうな感じもします。、、、、、、、呼んだけど、、、、応えはない。

頭の中、ブラッキーとの思い出が走馬灯のように甦ります。、、、、、、


飲んだせいもあるが、涙が止まらない。情け無い””


愛する対象を失う、、こんな辛い事とは思わなかった。、、そして私の中の何かが死んでしまった。

色々書きたい事はあるのだが””

2013.07.19.21:06

この4~5日、ブラッキーに付き添って寝ているため、やや睡眠不足である。

今週の初め、また下痢をして寝込んでしまった。その後、立ち上がる事も難しくなってしまった。水はかろうじて飲むが大好きだった軟らかいドッグフードも横を向いて食べなくなってしまった。

もう3日、何も食べていない。

おしっこをさせる為抱きかかえ庭に連れて行くが、体は痩せ細り特に腰付近は骨がう浮き出てしまっている。

下痢の原因、強力な痛み止めの薬の副作用もあるのではないか、そんな事で薬を与えてはいない。

アルツハイマー痴呆も相当進んで庭でおしっこをした後もそのまま固まってしまい、動かない。

もう、お迎えが近い、心の準備はできたが、ただ、少し迷いが出てきた。
それは、このまま自然に任せて衰弱死を待つのか、ブラッキーの痛みと苦しみを絶って安楽死をさせるべきなのか、心が揺れている。

以前は安楽死をさせない、、、と思っていたが、、、その思いもブラッキーをみていると辛い。

とにかく、私がいない間には逝かれたくないので極力外出は控えている、夜もブラッキーのベッドの側で寝ている。




そんな事もあって色々書きたい記事もあるのだが、当分更新は間が空きそうである。

とりあえず、ブラッキーに応援を下さった皆様に感謝を申し上げます。

ブラッキー、容態持ち直してくれた、神に感謝”

2013.07.15.21:44

一時はもう駄目か!そう思っていた我が老犬ブラッキー、なんとか持ち直してくれた。

寝たままになっていたブラッキー、無理やり口をあけて下痢用抗生物質、それと正露丸を細かくし軟らかいドッグフードに包み飲ませた、その後、股関節リューマチ用の痛み止めの薬も同じようにしてドッグフードに包み飲ませた。

次の日、なんとかよろよろしながらも立ち上がってくれた。、、、、良かった。

これなら、一緒に義理の妹夫婦が住む、カナダとアメリカ国境の街、SARNIAにいける、そんな事で多分、これが最後になるブラッキーとのSARNIAの短い夏の旅、いってきた。


サーニヤ市、妻の一番下の妹エセルと夫、日系カナダ人ピーター河村が住む街、トロントから約400K,車で4時間程、カナダの西、アメリカとの国境にある街である。

人口約7万人、石油化学プラント工場群で保っている街、ピーターもその一つエッソのシニアエンジニアとして務めている。

エッソ、ペトロカナダ、その他石油化学プラント会社でもっているいわゆる企業城下街、多くの住民がそれらの会社で働き、退職した後もその街で暮らし、老人が多い街でもある。

トロントからは国道402号線で行き、国境のブルーウオターブリッジでアメリカの国道94号線に繋がる。
対岸はミシガン州、ポートヒューロンでその名の通りアメリカ5大湖の一つヒューロン湖の湖岸の町になる。IMG_1193.jpg

この橋には国境検問所があり、対岸はアメリカ、写真はヒューロン湖から流れる川、セントクレア川である。IMG_1182.jpg

ブラッキーの後姿が映っている先、これがヒューロン湖、水がマリンブルーでとても綺麗、トロントにあるオンタリオ湖とは水の色が全く違う。IMG_1185.jpg


この橋の下、この場所は私が大好きな所だったので、ブラッキーとの思い出を残す為に沢山写真を撮った。

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写真の中央、微かに見える煙突群、石油プラントの工場群である。

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ピーターの家と近所の風景。



さて、ブラッキー、最後の思い出旅行、なんとか頑張ってくれた、二泊三日の旅だったが毎晩ブラッキーの側でねた、様態が心配だったからだ、薬のお陰でなんとかかろうじて歩けるが、車の乗り降り、階段は抱き上げなければもう無理、頭も痴呆が進んで直ぐ固まってしまう、食事もちょっとしか食べなくなってしまった。

寝る時と車ではおしめをさせた。、、、、、

ネットで老犬、痴呆、股関節リューマチ、検索して調べたが、老犬の末期、食事をしなくなったら最後が近いとあった。

果たして私とブラッキー、残された時間、どの位あるのか、それはわからないが、まだ逝って欲しくはない。

サーニヤの教会で初めてブラッキーの為に祈った。祈っている内に涙が出てきた。

ブラッキーとの別れが近い。辛い

2013.07.11.03:33

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今日の朝、起きたらブラッキー居間で倒れていた、昨日から下痢が酷く、心配をしていたが倒れていた付近で又下痢をしたらしく、相当弱っていた。

朝方、かろうじて歩きはしたが、先ほどからベットに横になったまま、身動きしない、

普通、手を叩くと反応するがそれもなくなった。

この様子ではもしかしたらこのまま逝ってしまうかも知れない。ある程度覚悟をしていたが、実際死期が近ずいているのが分かる。

知り合いの動物医に間接リュウマチの薬と下痢の為の抗生物質処方してもらうが、もう、薬飲み込む元気もない。

仮に持ち直したとしても寝たきりになると思う。


もう病院には連れてはいかない。

後、残された命、どの位なのだろうか、、、、、その最後の日まで付き添って上げたい。それがこのブラッキーから愛と癒しを貰った飼い主の務めだと思っている。

こんな訳で週末に予定していた義理の妹が住む、アメリカとの国境にある町、サーニャに行くことをキャンセルした。


今日から、ブラッキーの側で寝る、、、、知らない間で死んでいた、絶対これはしたくない。

でもブラッキー、逝ってしまったら、相当落ち込むと思う。、、、辛い。


思い起せば私が45才の時、会社の近くに子犬差し上げますとの看板が出ていた。そこは農家で生まれたばかりの子犬が7匹いた。

父はラプラドールの黒、母はイングリッシュセッターで真っ白だった、生まれた子犬、3匹は真っ白、4匹はブラッキーと同じ、私は白い子犬が欲しかったが、それは駄目と断わられ、じゃあ、おいでと呼んだら真っ先に飛んできたのがブラッキーだった。

小さい時はピーピー泣く甘えん坊で臆病な犬だった、でも思ったよりは利口な犬で人間の言葉を直ぐに理解した。

日本にいたときは庭で飼っていた、ちょうど今頃の季節になると庭中に穴を掘り、顔を泥だらけにしていた。

猫が天敵で弱い癖に威嚇したりしたが、猫に反撃をくらうと直ぐに逃げる弱虫、野菜が好きでよく母が買ってきて土間に保管していた白菜なんか、半分くらい齧っていた。


私がつまらぬ意地で会社を辞めざるを得なかった時、その後悔と自分の阿呆さを酒の力を借りて飲んだくれていた時、このブラッキーがじっと私の愚痴を聞いてくれた。

ブラッキー、カナダの移住時、一緒に来た、シカゴの空港で乗り換え時、ブラッキーもケージに入ってゲートにやって来た、その時、私の姿を見たのか、悲しそうな声で泣き続けていた。その声に乗客が驚いてとても恥ずかしかった記憶がある。

暫くは義妹の所に居候していたが一年後、現在の住居を買った、それからは酔っ払ってはブラッキーと一緒にカウチで寝たりする事もしばしば、年中、私の股に挟まって寝ていた。

妻が時々怒って、ブラッキーと怒鳴ると、すまなそうな顔をして自分のベッドに戻った。

妻はブラッキーの事を私の尻尾と呼ぶ、それは家の中、私が動くと必ずブラッキー、後についてくる、

ブラッキーの餌、これは私がいつも味見をしてから上げていた、グルメ犬であった、タマに妻が残り物などやっても知らん顔をしていた。

去年、ブログにブラッキーとの最後の夏、という記事を書いた、ちょうど今頃であった、その時も相当弱って歩く事も出来なく、排尿排便のコントロールが出来なくなってしまっていた。IMG_0827.jpg
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それから1年、何とか保った、そこで今年もそのペンシルバニアにある犬も泊まれるリゾート、ブラッキーと一緒に出かける予定だった。



ブラッキーとの思い出は数々ある。なにせ20年の付き合いである。

ブラッキー、血統書もない駄犬、だが私にとっては娘であり、家族でありかけがいのない存在だった。

その存在が消えようとしている、願わくは寝たきりでもいい、もう暫く生かして欲しい。、、、、、、、、、

人の為には祈らない私だが、ブラッキーの為には喜んで祈りを捧げる。

お礼。

2013.07.08.22:26

Tomrin   さん
千香子      さん
水晶       さん
かよ       さん
こと葉      さん
がんこじじい   さん
MT       さん
Boss,K   さん
ねずみ男     さん
KUON     さん


私へのお気ずかいとご心配のコメント、本当に有難うございました。

本来ならお一人ずつにお返事差し上げなければいけないのですが、このような形で申し訳ありません。

又、他の記事へのコメント、落ち着きましたらいたします。暫くの間、ご容赦下さい。


引き続き、心籠る思いのコメント、感謝いたします。

MISA子先生  さん

Pumpkinママ さん

カーニャ     さん

Hiro       さん

しんチャン    さん

Kavita      さん、


有難うございました。

そしてKuonさん、度々のコメント、改めて御礼申し上げます。、、、自分でも情け無い状態だという事は承知はしているのですが、、、、まだ、前に進む事はできません、

事故、その後。

2013.07.08.01:28

事故を起してから1週間以上経った。

相手の女性や関係者からは何の連絡も無い、勿論、相手は私がどんな人間で何処に住んでいるのか、警察に聞けば分かる筈、、、、

事故当時、私は起した事故で動揺していてさかんに私の責任だと言っていたらしい、私の認識では横断歩道を渡っていた人間を私の不注意で跳ねた、そう思っていたからだ。

しかし、警官、取調べ、目撃証言、現場検証の後、心配するな、貴方の責任ではないと何度も繰り返してそう言ってくれた。

私が横断歩道と思っていたのは危険、横断禁止の立て札があった場所だった。だが起した事故でパニックになっていた私には何の事だか分からなかった。

警官や目撃者、そして私サイドの人間は、私のせいではない、そう言ってくれる。

だが、私は加害者であり彼女は被害者である。仮に彼女に事故の責任があるとしても私が100%,正しい訳ではない。、、、日本であれば安全確認義務違反、そうなる。

私は彼女、実際には若い東洋人、もしかして完全な英語を話していたのでフィリピン女性かもしれないが、彼女については全く情報がない。

私としては少なくとも見舞い位はしてやりたい、そう思い、妻にも伝え、妻の兄弟姉妹にも話し、保険会社にもその旨伝えた、だが、彼らの意見は接触するな、やってはいけない、そういう意見だった。

良く、日本でいう、私も悪かったが貴方も悪い、この理屈、私も頭の中ではこの国では通用しない、と分かっていたが、逆に私が被害者だったとすれば日本流に相手に対し文句をつけるはず、、、、、、、、、、、

警官の判断、それは彼女が明らかに道路交通法違反、従って違法行為における事故は違反者に責任がある、そう言っていた、私は自身の判断では重大な人身事故、多大な損害、場合によっては死亡事故、当然署に連行され過失として留置場もあると思っていた。

私は知らなかったが取調べ中に緊急病院に運ばれた先から、怪我は頭部額部分裂傷による出血、転んだ際の打撲、
怪我としては軽度、そのような連絡が入っていたらしい、

確かに後で車でぶつけた箇所みたが、車のボンネット付近に僅かなへこみがあるだけだった、だからぶつけた衝撃、そんな大きなものではなかったと思うが、よく憶えていない。

ただ、ぶつけた瞬間の映像、いまでもスローモーションのように浮かぶ、

彼女、傘を差し、コーヒーカップをもって横切ってきた、つまり両手がふさがっていた、結果、手で体を庇う事ができなく、そのまま転倒、頭を打った、多分そうだと思う。

しかし、実際に彼女を抱き起こし彼女の頭から大量に流れる血をみてる私、正直言ってこれで私の人生は終わったと思った。その位、ショックが大きく動揺していた、私のシャツ血だらけ、顔もショックで真っ青、おまけに朝方だったので薬も取らず空腹だったため低血糖症状がでて全身に震えが出ていた、

幸いに駆けつけてきてくれた人たちの連携協力により、救急車や警察官が直ぐに来て、彼女も直ぐに搬送された、だが私、動揺が酷く、警察官の質問にも答えられなかったようだ、、、義理の妹が駆けつけてくれなかったら、果たしてどうなっていたのか、、、、、


周りは私は悪く無いという、しかし、人を跳ね、怪我をさせた、これは事実である、良い、悪いの問題ではない。それに対し、相手の様態を心配し、何かできる事があるかを願う、人として当たり前、その位の責任はあると、私は思っているが、この国の人間は違うようだ。

それは保険会社の人間にも言われた、このケース、後の処理は全て保険会社が行ないますので、貴方は表面に出ないで下さい、見舞いなんてとんでもない、それは貴方にも非があったと認める事で、仮に相手から損害賠償裁判の訴訟が出されれば極めて不利に働きます。、、、そうらしい。


日本人が持つ当たり前だと思う事、世界ではそうではない、だが、実際に若い女性に怪我をさせている、それを思うと自責と後悔の思いが強く残る。

今、できるだけ車の運転を控えている、正直、車の運転が怖い、、、、、、

コメントの返事が遅れている訳。

2013.07.07.13:52

先に記事の冒頭でもちょっと触れたが、実はこの事を書くのは今でも迷っている。


それはまだ、動揺とショックが収まらず、後悔というか自責の念が強く、心が重い。


だが、このブログの性格上、他人の生き方を批判するくせに自分には甘いのかと自問自答している自分がいる以上、書ざるを得ない。


正直に書く、


車で若い女性を跳ねた、、、人身事故を起した。

交差点左折時、あっと思った瞬間、ボンと音がして若い女性を跳ねていた、直ぐ車を停めて車道に倒れている女性を抱き起こし安全な場所まで移動、しかし、女性の頭部からの出血が止まらない、、、、、、、

私はこれは夢、悪夢、何度も自分の頬を叩いた、だが、現実だった、私が着ていたTシャツ、血だらけ、、、、、

何人もの人間、車を止め駆けつける、私は彼女を抱いたままどうして良いか、パニックになっている。、、、、、

多分、跳ねた部位が腰だと思う、その衝撃でとばされ頭部を地面に強打、それは分かったが私はその出血が耳からと思っていた、、、、、耳からの出血、これは致命傷、脳の損壊であるからだ。

私は彼女を殺した、そう思っていた。


救急車、警察、、、、、、その後の彼女、どうなったのか情報はない。





私、無罪放免となった。救急病院に搬送された彼女にも連絡をとるな、調べに当たった警察官にもそういわれた。


事故を目撃した女性2人、何を話したかは知らない、だが、私に落ち度がないとの証言だったようだ。

つまり、彼女、横断禁止の看板がある場所で、それを知りながら、傘を差しコーヒーを飲みながら車道を横切った、そういう判断であった。

だが、そうは言っても私に全く非がないのか、これは結果論になるがもう少し、安全確認をしていたら、もう少し、ゆっくり左折していたら、、、、その思いが消えない。

カナダ、日本のように交通事故、人身事故、情緒的判断をしない、、、、、私も保険会社や警官に言われた、気持ちはわかるが、自分にも非がある、それは絶対に言ってはいけないと、


しかし、私は彼女を跳ねた音、彼女を抱き起こし、実際に彼女の泣き叫ぶ声を聞いている、、、、、、、、、、、


こんな事が尾を引いて、まともな思考が出来ない、


結論から言えば、彼女、打撲と頭部裂傷、命に別状はないらしい、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

本当に良かったが、しかし、、、、もし、、、で考えているとその時のショックが大きく、夜も眠れない、、、、

カナダ式合理主義的判断、まだ、私には馴染んでいない。


そんな訳で、、、コメント返答、ご理解下さい。


追記

その時、妻は妹の癌の手術に立会い、携帯も繋がらない、で、義理の妹に連絡、現場に来てもらった、その時の私の様子、呆然自失、ショック状態で震えていたらしい、警官も心配して私の車、彼らに運転を依頼した。


相手が訴訟する、その事はありえる話しだが、私側関係者は気にしていない、つまりポリスレポート、証言者証言、法律的判断で言えば仮にやっても敗訴する、そう言っている。

しかし、このケース、日本だったら、どうなってたのか?

皇太子妃殿下雅子様同様、私の老犬ブラッキーにも体調の波がある。

2013.07.04.02:54

こんな事を書くと、何!馬鹿こくでねえ、お前の駄犬と皇太子妃殿下であるお可哀相、お優しい雅子様と一緒にすんでねえ!

なんて、創価学会系、朝鮮系、皇室乗っ取りを企むロクデなしや、中国から銭を貰って中国に尾っぽを振る左巻き左翼勢力の連中から文句がきそうだが、、、、、まあ、文句がきてもかまわないが(笑い)


しかし、我が老犬ブラッキーを庇う訳では無いが、ブラッキー20歳、人間年齢ならば100歳に近い、当然、その日によって体調に波がでる。

もう、走る事は出来ないが、それでも私と並んで歩ける日と、後ろからヨタヨタついてくる日と、その日によってその差は大きい。

片や皇太子妃雅子様、もう何十年も適応障害なる訳の分からん病気、つまり、適応障害これは症状であって正式に診断を下された病名ではない。それも宮内庁医師団、しかし、その実態は創価系、妹繋がりのたった1人の医師、大野だれそれなる人物が下した判断、、、、、、、、世間では仮病、いや、適応障害ではなく、精神障害、いや、
そうではなく、半島系ルーツによる遺伝による人格障害、と、、、色々言われてはいる。



もう、皇太子妃殿下、なんて呼び名、面倒くさいので、以下アトピー雅子として書くが、普通、体調に波があるという場合、当然見てくれ的にも納得させる理由が必要である。

我が老犬ブラッキー、痩せ細り、骨だらけ、見るからに痛々しい、人間でもそうだが高齢で特に持病持ちの方が気分、体調にアップ、ダウンがあってそれを体調に波があるというが、、、、

アトピー雅子、東宮でたらふく喰って、それでもたりなくて一流レストラン、それも値段が高い所ばかり,準皇族気取りの妹なんかと国民の税金をつかって喰ってやがる。

従って体はデブ、オランダでの国王即位式、使いまわしの古装束にも笑ったが、それにもましてあの体型、一瞬妊娠とも思ったあの腹の出方、あれはアル中患者で食い意地の張った中年のおばんそのもの、、、、見た目、どこに体調がよくないなんて思わせる兆候があるのだろうか?

アトピー雅子の体調の波、これは雅子がやりたくない事、行きたくない時、雅子自身がこういうのである、、、、

アテクシ、体調が悪いザマス事よ、そんな事であとよろでお願いザマス事よ!!それに対して旦那である博飲み屋
盆暗、薄ら皇太子、自身が後はよろしくの専門化、それもあるが雅子に恐れおののく、体力なし、気力なし、意気地なし三拍子そろった盆暗殿下、雅子かきなぐりのメモ渡され、記者会見、、、、、、、

雅子も是非、公務としてその地、訪問したかったですが、体調不良により同行できなくなりました、。、、、、、

あのなあ、、、あんたただの家庭内DV受けている駄目亭主じゃないんだよ、頭に雅子から灰皿ぶつけられたたんこぶ、痛かったのはわかる、仮に雅子に張り飛ばされれば1メーターは吹っ飛ぶ、それも分かるが、、、、、なんと言っても次期天皇になる人だろう””

点数稼ぎで言った大震災被災地訪問、アドバルーン揚げたはいいが、例によってドタキャン、今回も宮内庁がご体調は宜しいようでと言った直ぐ後、嫌だ、行かない、、、でドタキャン、、、、、、、

博飲み屋、あんたは雅子のパシリか、メッセンジャーボーイか、一体何なんだ?

嫁の親父の借金、そのために皇室ゆかりの宝、横流し窃盗の片棒を担ぐ、今やネット社会では誰もが知っている話し、確かに世界の王家にはスキャンダルもあるがこんな阿呆な皇太子をもった国なんて聞いた事もない。

かつらも許す、シークレットハイヒール靴も許す、内容の無いヘラヘラ笑いも許す、、だから、馬鹿嫁のいいなりになるのだけは勘弁してけろや!!〔笑い)




何!そないな事はできまへん!、ぼくちんは怖い!、飯も一緒に食ってくれない、寝室も別々、嫁、昼間は寝てけつかる、ちょっとで逆らうと大声で威嚇、言葉の暴力、更には物を投げる、、、、けれどもぼくちん、雅子が好き、、、好き、、好きなの””守ってあげたいの,,,,,,,誰からって?、、それは世間の心無い雅子に対しての非難から”


なんじゃこりゃ、これってマゾ?...世間によくあるDV被害者の妻がよくいう台詞、あの人、本当は良い人なの!その事は私にしか分からない事なの!

オイオイ、頼むわ~,,,

日本の天皇、もう何十代にも渡って万世一系の伝統と格式に守られ受け継がれてきた皇統、世界最古の王朝、国を維持、護り、民の平安を願う神官の最高職であるその座に着く方が言う話しではないだろう。

はっきり言うが日本と日本国民、宮中祭祀や皇室公務、やりたくない皇太子妃、さらにそれに同調、援護する皇太子なんていらないのだ””


何、そんなの関係ねえ~,僕ちゃんと雅子、天皇が死んだら自動的に天皇に、雅子は皇后になっちゃうもんね””

だから、今は何言われても平気だもんね!

もし、僕ちゃんが天皇になったら国民、民、別に~,,,それよりもっと関心事がある、汚和田の親父さんが言っていた、それは天皇に伝わる3種の神器、あれ、売りにだしちゃおうって、でその金で豪華ヨット買ったりして雅子と世界一周なんて、

国交、それは簡単、中国さんに任せて、僕ちゃん、近習平国家主席の奥さんを知っているけど、良い人だよ、韓国、これは天皇家に朝鮮人の血が流れている、まあ、親戚みたいなもの、仲良くしなきゃ~

下々の暮らし、そんな事は知~らない、まあ、後は宜しく、、、、、



書いていて頭が頭痛になった!!

妻の妹、医者の妻、結腸癌の手術をした。

2013.07.01.01:00

この記事を書く前に私にとって最悪な事が起きてしまい、その事を記事にするか、しないか、思い悩んでいる。

時間が経てば書く事ができるのか、あるいは記憶の中に封印してしまった方が良いのか、分からない。




さて、私の義理の妹、妻が勤める小病院の医者の妻、前から体調不良を訴えていて下血があり、検査の結果、結腸癌と判明、まだ、手術まで時間があると思われたが、状態が急変、緊急手術となった。

3時間の大手術、癌主要部は全部摘出、検査の結果、他の臓器に転移はなく、後の化学療法も必要が無いかもしれない、との話しではあるが、まだ、はっきりとはしない、

翌日、見舞いにいって義理の妹と話したが、気丈で吃驚した。

妻の直ぐ下の妹、妻の6人姉妹の中でも歳が近く、一番気が合う妹である、旦那は医者であるが開業医、実際の所、彼も内心は相当心配していたようだ。

彼女は入っているのは特別個室、カナダ、手術、入院、基本的には全て無料だが、特別個室、これは別途の料金が取られる、一日約千ドル、だが、この病院関係者が非常に中のよい友人で無料となった。

しかし、これだけ大手術であっても入院は一週間程度しかいられない。

いずれにしても、手術そのものは成功し、後は回復の様子を見守る、そういう状態である。IMG_1090.jpg
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この件もあって妻や義理の妹、義理の弟、そして私の古い友人夫妻がシカゴからやってきている、夫のウイリーは義弟のフィりりピンでの医学生時代のクラスメート、私も良く知っている男である。

見舞いは日をずらしてという事で、折角だからナイアガラ見物に兄弟で出かけた。以下掲載する写真はその時に撮った物、


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最後はこのギリシャレストランで皆で食事をしたが、私には全然口に合わず、殆どを残してしまった。

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総員13名、日帰りの旅行だった。一泊するという話しもあったが、月曜日がカナダデイ、独立記念日の為、連休で写真でもお分かりのようにナイアガラ、観光客でごった返しており、ホテルは満杯で取れなかった。

おまけ、先週、教会でヤードセールがあった。まあ、ガレージセールと同じだが、教会が住宅街の奥まった場所にあり、お客は余り来なかった。IMG_1089.jpg
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