味の違い

2012.01.31.09:53

私が在職時代、同じ職種の会社が韓国にあり交流があった、会社が最新式の機械設備導入した時に見学の話があり、韓国からその会社一行がやってきた。

その後食事でもとの話になり、焼肉レストランへ案内した。
しかし、彼らは拒否した。理由は我々はこのお店では食べる事が出来ない、なぜ、いけないのか、その時点では判らなかった。
そして後で真の理由、知った。わが社が接待で使おうとした焼肉レスランは、北朝鮮系のレストランだったのだ。
日本人が朝鮮料理、焼肉レストランで食べた場合、お店の雰囲気や味の違いは判らないが、彼らに言わせれば味においても北と南では違いが歴然としてある、そういっていた。

では何故彼らが入店拒否したのか、それは政治的配慮だったらしい。今では民潭も総連も反日では協力しているが、当時は国内でも犬猿の仲で、ましてや本国では政治的対立が続いていた。そんな中、食事とは言え、北朝鮮側のお店に入るという事はスパイ扱いされてのしょうがない、そういう判断で拒否したらしい。

私にはよく分からないが朝鮮半島にも日本でいう県があり、その出身地で場合によって差別があるらしい。例えば
済州島、ここは李氏朝鮮時代、白丁と呼ばれた奴隷階級の島だった、現在、密航で渡ってきた在日朝鮮人の先祖の多くがこの島の出身者である。日本でもエタ,非人と差別があったがおそらく、同じ様な物であっただろう。

今、韓流とかで韓国時代劇は綺麗な衣装で放送されているが、100前にヨーロッパ女性の韓国の紀行文と写真見る限り、それは全くの嘘である。
まあ、これも電通の洗脳支配の構図ではあるが、何も知らない日本の小母ちゃん達、いい加減にヨン様なんて舞い上がっていないで、亭主でも大事にして欲しい。
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雑学

2012.01.31.03:52

私は本が好きで色んな分野の本をよく読む、また海外小説も好きで、ロバートBパーカーやデイック、フランシスのフアンであった。
本は知識を広げてくれる。私は人から良く色んな事を知っていますね、と、時々お褒めの言葉頂戴するが、これは本から得た雑学のおかげである。しかし、雑学であるが故に底は浅い。そうだが知らないよりは良いと思う。

そんな訳で何故今、日本のマスコミが偏向報道になっていったのか、その理由も有る程度知っている。

只、報道の客観性、真実性なんてものは大なり小なりどこの国も同じで、権力側によって情報操作されてはいるが、今日の報道機関、テレビ、新聞、出版、さらにNHKも含めて、日本や国家を弱体させるというか、ある方向に誘導している。

日本に電通という単体では世界最大の広告エージェントがある。
ここにはつい最近まで成田豊、通称電通の天皇と呼ばれた男が君臨していた。電通はあらゆるマスコミの飯の種だ、広告の入らないマスコミでは喰っていけない、例え大新聞社が正論吐こうが輪転機が止まればお終い、良い例が毎日新聞の輪転機、半分は創価学会の新聞で動いている。

電通の話に戻す、電通は歴史がある会社である。しかし、ある時期境に会社の体質や方向性が変わった。それは戦後、満州国人脈を大量に入社させた。この人脈には大陸ごろから諜報機関、満州政府要人、当然、その人脈はその後首相岸信介に繋がる、さらに言えば占領軍の情報管理、操作も加わる。

簡単にいえば電通はただの広告代理店ではない。その後成田氏の登場となった。彼はソールで生まれソールで育った、日本に戻り東大卒業後電通に入った。ネットでは朝鮮系と言われている人物だが、確かに彼のバックにはそのような結び付きがあり、特に韓国政府との繋がりも強いし、在日団体ともある。

一時期日本のテレビ界で入社試験で在日枠というものが存在した。それは入試枠で差別はけしからんと在日団体からの脅しと脅迫があったからである、現在その枠で入った社員、局長や部長クラスである。名前は日本人、所謂通名だから在日とは分からない、

こうして書けば、現在のマスコミが反日、反国家にあたるような政治姿勢になるのかが分かる。面白い事にネットでは規制がかかっていないように見えるが、例えばヤフー、孫正義氏の傘下にある。詳しくは書けないが彼が民主党の成り済まし日本人と深い関係がある。

つまり、今日本は魑魅魍魎とした深い闇の組織の支配下にある、と言っても過言ではない。そしてその侵食は留まる事がない。

続きその2

2012.01.30.11:57

原野商法と書いたのには共通点がある。それはゾーニング、つまり土木造成されていない、原野林や潅木が茂る一帯、それを将来の住宅造成地として買う訳である。

此処、カナダでは職業による人種住み分けが有る、例えば住宅開発、この種の業者の殆どはイタリア系だ、そこで、調査の話に戻る、弁護士事務所ではこの現地企業、徹底的に洗った。そこで判明した事、この美味しい話、作った張本人、こいつはイタリア人悪徳弁護士、不動産専門弁護士である。日本人投資家が貰った証書、検証して見た。私が依頼した弁護士の話、これは詐欺商法だと断言した。その結果を日本人投資会社のK氏に指摘した。しかし。彼はまだ、夢をみていた。それはこの仕事続けていれば莫大な手数料収入がある。

私ははっきり言った、これは詐欺商法、将来貴方の顧客から裁判起おこされる危険性がある、だから私は手を引く、詳しくは書けないが、この手の不動産投資ビジネスは今でも存在する。

その彼、自身のHPで何とかかんとか、言っていたがそれも消滅し、今はどうしているのか、彼が奨励した投資案件、全て詐欺だった、その話、彼を信じた顧客に上手く説明できたのか、

まあ、こんな経緯で私の社長就任は幻となってしまった。

社長になりかけた話。

2012.01.29.13:04

カナダに移住して2年目位だった、妻が手伝っていた投資顧問会社の社長夫妻がカナダにやってくる、そんな話だった。仮に彼の名前K氏とする、私自身は勿論彼とは面識があった。彼の職業、外国の投資債権、日本の投資債権扱う、そのような仕事である、そこで何故カナダに来たか、それは当時彼が扱っていた投資ビジネス、カナダを中心としてやっていたからだ。

そこで、彼のビジネスについて、当時、今でもそうであるが、カナダの住宅地建設ビジネスは勢いは失っていないが、そこに目をつけた、日本でいえば原野商法、まあ、詐欺の一種だが、将来の住宅建設用地、事前に取得しておき、5年後、用地指定になった時の値上がりに対しての利益、それが投資の目的だった。
1エーカー600万、日本からの投資家に買わせ、それを債権かして証書として渡す。彼はその時点で手数量収入で何億も儲けていた。そこで彼から話があった。孝ちゃん、ついてはこのビジネス本格的にやりたいのでカナダ側と私で設立した現地法人の社長になって欲しい。
給料はたいした事がなかった。要は、日本人投資家に対し、現地法人の社長はカナダ在住の日本人です。まあ、そんなところだったのでしょう。
そこで、引き受ける条件で合弁するカナダ側の会社、調査する話となった。
私には此処カナダで企業専門担当弁護士事務所ににほんじん女性でこちらの弁護士資格持つ、有名な弁護士にコネがあった。

そこで早速、合弁事業相手側企業に調査依頼した。その結果、何と?
続く。

今宵は思いつくままに。

2012.01.28.11:50

今夜も飲んでいる、珍しい事にこの2~3日、日本酒である。思い起こせば酒の原点は日本酒であった。私は中学生の時問題起こし、親戚預かりの身となった。やっかいになった先は大きなお風呂家の前にあったアイスクリームの卸問屋だった。ここでお風呂客相手のアイスクリームのお店もやっていた。私も時々、店番させられた。

で、悪い小僧だった私は時々売り上げ誤魔化し、その金持ち屋台のオデン屋でよく飲んでいた。冷やの枡酒だった。父が酒飲みだった事もあって小さい時は酒は飲むまいと誓っていたが、父同様、自分に甘い性格ゆえ、結果的に大酒の呑み助となってしまった。そして気が付いた、酒のみではあるが、自分でコントロールできた。要は自分でも驚いたが強かった。そのご、社会人になっても酒は日本酒であった。

その後、ハイボール、ウイスキー、ラム、ウオッカ、ここ数年の好みはバーボン、と変わったが最近食べ物同様,酒も日本回帰している。焼酎、そしてお酒、私もやはり日本人、お迎えが近くなれば源日本人の戻るのかも知れない。

酒で色んな周り道したが、今宵も日本酒飲んで気がついたが、日本酒の酔いの回り方は穏やかだ、まさに日本人が作ったアルコール、そんな思いがする。

私の人生ももうそんなに長くはない。願うくは良い酔いで、朝には死んでいた。そう願いたい。

小野田元少尉

2012.01.28.00:33

この方との出会い、場所は当時四谷にあった、アメリカの美術出版社の社長宅、この社長の経歴も変わっていて、最初に日本を訪れた時は、進駐軍の情報将校、日本語の読み書きが出来、話もぺらぺらだった。その後アメリカの美術出版の日本支社の社長としてやってきた。この出版社はユダヤ系でかれもユダヤ人だった。彼が宮本武蔵の英語版、翻訳したのは有名であった。

さて、私が仕事の関係でこの社長宅お邪魔していた時、初めてこの方、小野田さんとあった。最初の印象は痩せて小柄な方だった。特に印象的だったのは目であった。目の光が強かった。私も仕事柄色んな人間に出会ったが、このように目の鋭い人にはあまり出会った事がない。

社長と小野田氏の打ち合わせは、彼の体験記アメリカで出版する、そのような話だったと思う。私ももっと話がしたかったが、この時は時間がなく、失礼した。

2度目にお会いした時も、この社長宅だった。この時は多少お話が出来た。しかし、彼は無駄な話はされない方で、私のような若造には少々恐れ多い方でその時何を話したか記憶には残っていない。

彼の話はいろんな所で書かれているで割愛するが、先日靖国神社の集会で彼の話Uチュウブで見た。彼はこう語っていた。今の日本人は国家観が無くなってしまった。我々が命をかけて守ってきたこの日本は何処へ行ってしまったのか!最近の日本、日本人を見ると彼の嘆きが良く分かる。
特に外国に暮らし、そこから改めて日本を見ると日本と日本人が持っていた伝統、価値観、そして恥の文化、もう殆ど消えてしまった。

VRAIさんもご自身のブログで書かれているが、日本人というのは何でも話し合いで解決する民主主義というのは合わないような気がする。軍国教育がいいとは言わないが、国、国家、単位で考える精神性のある教育が必要だと思う。そのためにも日本という国は強力な指導者が必要だが、もう無理かな?
久ぶりに小野田氏の凛とした立ち振る舞いネットで見て、改めて昔の日本人は立派だったと思った。

酔いに任せて 続きその3

2012.01.27.13:05

妻はその後私の得意先、アメリカの美術出版社の日本法人に編集担当部長の秘書として、転職した。
当時、私と妻、年収で合わせて1200万位あった。よく2人で金曜日、待ち合わせてホテルニュウ大谷で食事を摂った、話題はもっぱら、定年後の海外移住計画であった。そこそこの準備はしてあった。
ビナグナの小高い丘、ラグナ湖が見渡せ、方やマカテイの街も見下ろせ、この住宅造成地3ブロック買っていた。会わせて併設するゴルフ会員券も買った。しかし、私の辞職と同じ時期の妻の会社がフランス資本の買われ、日本支社は閉鎖となった。そこで比国移住計画は終焉となった。

ではどうするか、結局妻の両親、姉妹が住むカナダとなった。当時私達は50代、永住に向け現地の弁護士雇い、あらゆる書類作り、審査を待った。一年半後、ビザは下りた。それが2002年、そして現在に繋がる。

私は内緒だがダブルのパスポート持つ、妻はダブルのパスポートと日本の永住許可書持つ、

長く書いてきたが、私の場合、どのときが人生のターニングポイントかは分からない、会社う辞めた時か、比国諦めカナダに移住した時か、今だに答えはないが、こうやって、飲んで出来上がって、訳の分からない記事が書け、また、少ないながら、この阿呆の孝ちゃんに答えて下さる何人かの奇特な方がいらっしゃる。有り難い事だと思っています。

最後は論旨、要点纏まらず、失礼しました。

言い訳、今夜はすき焼き作り、酒も大関ですっかり出来上がりました。

おまけ、彼女の会社で、小野田少尉と2度ほど会い、お話もしました。痛烈な印象でありましたがその事は別の機会に述べたいと思います。

続きその2

2012.01.27.11:57

会社離れてもう14年の月日が経った。当時の先輩や仲間はもういない。
たまに気になって、ネットで色々調べた、何と会社は存続していたが、大手、大日本印刷の子会社になっていた。
一時期、この会社から業務提携の話があったのは知っていた。しかし、オーナー一族が会社売り払ってしまっていたとは思わなかった。あの時会社のため、皆のためと頑張ったきた思いは何だったのだろう。

当時株は非公開で、オーナー一族が6割、従業員の古参、及び幹部社員、役員が4割、経営は組合つくらせないよう全社員経営組織と標榜していた。しかし、株券は持たされず、定年になった時利子がつくまあ、インチキ株主制度であった。

私の元上司だった方と今でも付き合いがある。その方が言われた。孝ちゃん、気持ちは分かるが、従業員にとって、大手資本企業の傘下になった方が結果的に幸せなんではないか!確かにそうかも知れない、が、当時、今は親会社となった大日本印刷、同等の立場でやりあった立場ではそう簡単ではない。

しかし、この2代目、普通3代目で会社潰すとあるが、見事2代目で会社売ッぱらってしまった。面白かったのは2チャンネルで糞味噌に叩かれていた。

色々思いはあったが、元の会社は私が育った会社ではもう無い。ある部分すっきりした。もう会社員時代の夢を見る事がないだろう。
会社、辞めてから、精神的に参った事があった。それは自身の馬鹿発言での結果だが、当時はそう思わなかった。
でも暫く経って、何故あの幹部会で、役員以下黙って下を向き、何も言わなかったのか、その理由が今はよく分かる。皆家族があって、ローンがあって、言えなかっただけだよね。

結果的に思えば、あの時辞めて良かった。その事が続きその3に繋がる。

移住した理由 会社辞めた理由

2012.01.27.03:48

先ず順番からして、会社辞めた理由、
一番 大きな理由は2代目社長と揉めた事、私の勤めていた会社、印刷と製本の会社で、従業員400名、中小企業としては結構大きなほうだった、得意先は講談社、新潮社、文春、学研、等の出版社から大手の新聞社、この会社は先代が築き、息子(私より1歳上)が継いだ。
当時右肩上がりのバブルが最高潮の頃、この息子が銀行からお金借りまくり、会社ごっこを始めた。その時は先代社長はすでに亡くなっていて、誰も彼を諫める物はいなかった。何故会社ごっこと言ったか、彼には事業の才能がなかった。本体の会社は彼がいなくても順調だったが、その後バブルが弾けた。本体も業績が悪化し始めた.それに輪をかけてこの息子が借りた銀行借金が足を引っ張った。
彼が作った会社、例、北欧風レストラン、東上線の田舎駅の会社所有の社員寮の隣にあった社有地、郊外なのに駐車スペースが無い、昼間、人が歩いていない。フランスからのワイン輸入、ボンジョレ ヌーボー、ロシア スポーツ省との合弁で、シベリアにリゾート開発、多分このほかにもあっただろう。
社員は自分でどこから拾ってきた、自称専門家、この構図、比国で事業展開と思ってやってきた素人投資家が、現地の詐欺師達に毟り取られる事に似ている。結局、全て倒産。
問題はこの銀行借入金、本体が債務保証していた、この事は本体の最高幹部しか知らなかった。さらに役員会から了承として書類も捏造であった。借り入れ金の総額30億、その後彼は本体に戻り今後は本体で頑張る旨の声明、
それに当たっての幹部会、皆、ふざけるな、何を勝手な事いっている、しかし、皆したを向いて黙っている。
そこに独りの馬鹿がいた。社長、それは違うのではないですか、キチンと総括しなければ社員も納得しませんよ
!!、これを言った時点でこの男の命は終った。
これが私が会社辞めた理由、後で人を通じて、私が詫びいれれば赦すとの話があった。しかし、ワンマン中小企業でつッパラかって生きた私、泣きいれて会社に残ってもモウ誰も相手にしない、正直いって辞めたくはなかった。
辛かった。そして私の前から蜘蛛の子散らすように人が去っていった、見事なものであった。
これが私が50歳のときだった。
 
続く

友人

2012.01.26.14:38

私の此方での友人と言うか、人生の先輩の方がいる。

仮にT氏と呼ぶ。彼はカナダ日立の代表だった方でこちらで辞められた後永住された。最初はその程度の知識しか、彼にたいして無かったが、彼の祖父について書かれた本で、彼の系譜が分かり、驚いたものである。

日本の戦後政治語る上で、絶対外せない政治家がいる。吉田茂元首相、彼はT氏にとっては祖父の弟にあたる。さらに祖父は日本の重機で有名なコマツの創始者であり彼の父はコマツの経営者でもあった。

彼の時代にはコマツの経営権は他人に移ってはいたが、若干の株は保有していたらしい。又、彼の奥様は武家の出の一人娘だったそうで、確かに気品があり、育ちのよさが感じられた。

彼のコンドウは湖のほとりに立てられた立派なコンドウで、彼の部屋からの眺めは素晴らしい。

人と人の結びつきはどんな形で繋がるかは予想できないが、私もこの方と知り合えて感謝している。

彼とゴルフし終わった後、2人で飲むビールは上手い。

比国に嵌った男達

2012.01.25.13:35

私の場合、比国に嵌った、それは無い。

確かに団塊の世代としては比国の生活と言うか、ある種のノスタルジー、日本でいえば昭和のはじめ、私達が育った世界が残っている。懐かしい、貧しかったが、皆が助けあい、支え、良い時代だった。

私は夕張で生まれた、炭鉱の町であった。炭住、つまり、炭鉱住宅にて育ち、そこそこの生活、特別貧しいとは思わなかったし、米、味噌の貸し借り、上手く出来たおかずのおすそ分け、夫婦喧嘩があれば近所の隠居が仲裁、そんな世界、それら似たような世界が比国に残っている。

嵌るという事は何であるか!まあ、一種の中毒状態、この症状に嵌る世代は、勿論若い世代には無い、所謂中高年齢、

この話は少し問題発言かもしれないが、あえて書く、私も仕事柄、銀座で遊んだ。しかし、女は鋭い、本当の金持ち、特権階級は存在したし、それ以下、中小企業の木っ端役員なんては関心がない・

では、似たような男達は何処にいったのか。それはPPバー、そこには昭和の初期があった。
赤坂や銀座で相手にされない男達、しかし、PPバーの比国女の子は、片言で、聞いてくれた、そして、何故、日本に出稼ぎに来たか,タマには嘘があったが、男達は感動した。

俺はたいした事がない人間だが、彼女の為に何とかできる、これが嵌る現象。この現象、統計は無い、だが。今だにこの手の痛いおじさん、後を絶たない、

結局、団塊爺、少し下がっても爺、本当比国娘と所帯、持ちたければ、少なくとも英語、タガログ語、マスターし様よ。そして彼らに溶け込めれば、まあ、いいかげんではあるが、ストレスは無い。

まあ、つまるところ、伴侶次第ではあるが、売春婦上がりは辞めようや。

妹の窮地

2012.01.24.12:32

私の義理の妹、比国の看護婦資格、カナダで一発で此方の免許獲得し、現在はあるナーシングホームの看護婦の婦長やっている。その彼女、現在休暇中である。

話はこうゆう事らしい、彼女は婦長ではあるが総務部門のボスがいる。このボスと折り合いが悪い、最近、事務上のミスが重なり、いわゆるハラスメント受けているらしい、退職勧告ではないが、ニュアンススとして妹は、そのように受け取っている。
確かに、長年の勤続年数、待遇からいえば妹は破格の給与だと思う。だが、ここに使う側と使われる側との間には認識の差と言うか、大きな考え方の違いがある。

看護婦の仕事は患者に対し大きな責任が伴う。薬も扱う、だから、日本的に考えればミスに対し言い訳は赦されぬが、しかし、そこは比国女性、勤務時間や責任が過剰との話、私はこのような話のすり替えではなく、本質の話は労働部門のリストラと考えている。実際、彼女が辞めれば若い看護婦3人は雇える。

今日本で雇用されている側、簡単に首が飛ぶ、特に中高年であれば誰しもが、経験する話だ、一旦仕事失えば、2度と同じ状況にはならない.仮に不当解雇としても裁判までして争わない。
此処で、妹の話に戻る。
何故、彼女は長期休暇取ったか。それは自衛手段として、いかにストレスがあったか、またボスのハラスメントで如何に精神的にダメージ受けたか、医療上の記録取る為である。
これには理由がある。カナダの弁護士は沢山いてしかも細分化、専門化している。
例えば、労働問題専門弁護士、私はその道で有名な弁護士使った事がある。先の案件では話が終わった段階で成功報酬による支払いで、引き受けてくれた。結果和解となり、私の日本人友人は400万、受け取った。
妹もそんな事で簡単に首にならないよう、証拠固めしている。
何せ、北米は訴訟社会、日本で言う、しょうがない、しかたがない、あきらめよう、なんて発想は誰も持っていない。


宗教

2012.01.24.02:40

私が毎週土曜日、通っている教会がある。正式名はセブンスデーアドベンジスト日本人教会、プロテスタントでルーツは1800年代前半に北米で起こった再臨待望運動、源とし、1863年教団組織発足。その後エレンG歩アイトが中心となり組織拡大、ほぼ全世界で布教活動展開、歴史的にはこのような教会である。尚、比国においてはサバデイスタと呼ばれている。

教義解釈は、天地創造は字義とうり6日間で創造されたと解釈し、キリストの復活、昇天および再臨も字義とおりのものと解釈する。ただ一点、天地創造は日曜から始まったと解釈し、従って土曜に休まれたとの解釈で、土曜日は聖なる安息日となる。
再臨運動とは、イエスが復活し、自身の民と共に永遠の命持って天国に行く、その為に準備し再臨待つ。しかし、この再臨時期については聖書では詳しい記述がなく、旧約聖書からの計算やらで、1800年代には再臨があると信じていたが、実際には何も起こらず、多くの民は失望し教会から離れたが、いや、これは計算が間違えたと考えて人々が、再結集して始めた運動、これがSDAの前進である。この中でもエレンGホワイト女史は神から沢山の啓示うけたとして沢山の書物記し、教団内部では預言者同様の扱いである。

さて、私は妻がこの教団の信者だったため、結婚直後からこの教会に通っているが、今だ信者には至っていない。
それは色んな理由があるが、人類の歴史や考古学、科学、宇宙、学べば学ぶ程、これらの知識と宗教は相容れない
さらにこの教団には厳しい戒律が存在する、代表的な事は食物に関してだ。それは旧約聖書レビ記代11章のよる不浄な生き物(豚肉、反芻しない生物、ひずめの割れていない生物、鱗とひれのない魚介類など)の摂取避ける事
つまり、日本人の好きな、烏賊、タコ、海老、貝類、鱗がないアンコウや河豚、うなぎ、が食べられない。
又、健康志向で、アルコール、タバコも駄目、もっと狭義な解釈になれば結婚は同じ信者同士、結婚式にいたってはダンスも駄目だと言う、1番問題なのは土曜日の安息日、この日は働く事は出来ない。
このような教義のため、日本では信者の数は少ないが、全世界的にみれば信者数も多く、教団組織は世界各国にあり
教団施設も病院、大学、会社、工場等もっていてその規模は非常に大きい。
長らく、入信勧められているが、取り合えず2つの理由で回答避けている。

のん兵衛の私、チェーンスモーカーの私,永遠の命はいらないから現世で好きな酒とタバコ楽しみたい。
只、宗教としては否定はしないし、批判もしない、それは各自の判断で信じるとすればそれで良い。宗教とはつまるところ信じるか信じないか、究極的にはその一点のかかる、そう思う。

妻との出会い

2012.01.23.09:49

会社に入って直ぐの事だった。当時会社のある部門で、日本で製作した美術本、アメリカの出版社に輸出していた。私は輸出書類作り(船荷証券)船会社(乙仲)に届けるそんな仕事だった。

その事務所で初めて彼女にあった。吃驚した。彼女今でも私より背が高いが、当時は脚が長く。まるで体の半分が脚のように見えた、さらに日本人では見られない南方系美人であった。

当時私は全く英会話が出来なかった。単語並べてのボデイランゲージ、その後もなんとか理由つけてデートに誘ったが、一年位2人ではデートできなかった。それはシャペロンというしきたりで、いわゆる良い家庭の子女は1人では男性とデイトしていけない、必ず、同伴者、つけなければならない、この話は後で分かったが、当時はそうしないと来ないし、少ない給料で2人分の費用、参った。

その当時の彼女の状況、在日比国大使館、文化担当書記官、あと何の書記官かは忘れたが、彼女の叔母、叔父がその職についていた。彼女は大学卒業後、船で九州の佐世保に上陸、それから列車で東京、六本木にあった叔父、叔母の家に住むようになった。

本人談によれば、この仕事は、アメリカに行くため、費用捻出の一時的なアルバイトであったそうだ。
その後、彼女の姉が同じ大使館で仕事についた。

付き合いは続いたが、このとき初めて比国という国に興味が湧いた。当時はP人といえば、ビンボウ、ダナオ位しかいなかったし、PPバーもなかった。

それから暫くして生まれて初めての海外旅行が比国であった。23歳の時である。

結婚はそれから5年待たされた、28歳の12月の事だった。

偶然

2012.01.23.02:09

現在、私の姓は母の姓、名乗っている。
それは、私が小学校時代に両親が離婚、母の姓となった。元々の姓は鈴木といった。この鈴木という姓も。父の父、私にとっての祖父が鈴木家に養子に入って鈴木姓になった。

私が子供時代、よく父がお酒に酔っては自慢話していた。それは父の祖先は仙台藩の武士だったと言う話、まあ、適当な与太話として聞いていた。とにかくヒ祖父の姓は賀毛だったといっていた。祖父が養子に行かず、両親が離婚しなければ、私の姓は賀毛となっていた筈、只、実際、仙台藩に賀毛という家臣があったのかどうかはまだ、詳しくは調べていないが、まあ、下級武士のはしくれだったのもしれない。

さて、これからが偶然の話となる。

私の義理の父、もう亡くなってから何年にもなるが、この父の姓、ガモウであった。
このガモウいう名前の由来、最近になって知った。父の故郷はケソンのポリリオという小さな島の出身であった。
そこにはガモガモという昆虫がいたそうだ。父の先祖はこの昆虫の名前から姓名、採ったらしい。

蛇足だがこういっった比国人の姓名の付けかた、共通性があるような気がする。もう何十年前に亡くなった、私達のよき友人、赤坂で有名なクラブ歌手だった、芸名アル モンテス、実名、アルバロ、ブアイヤー、このブアイヤー、タガログ語で鰐の意味らしい。

話戻すが、もし私が祖先の名、継いでいたら義理の父と同じ名前になっていた。現在この父の苗字は義理の姉しかいない。妻は6人姉妹、長女の姉だけが結婚しなかった。元比国外務省。外交官で長年在日比国大使館で勤務していた。その彼女だけが父の名、継いでいる、

又、話がブレルが、この義理の父の風貌、インド人に見えた、それで有る時父に質問してみた。そうしたら、確かに先祖にはインド人の血が入っていると言っていた、これも亡くなった父の弟、全くのインド人の顔だった。これは人種の違いが何代かずれると、いわゆる先祖帰り、そういう現象かもしれない。

比国という国は規模は小さいが、人種混合、マルチ文化社会である。本気で勉強すれば面白い国かもしれない。何せ、私の先祖の苗字と妻の父の苗字が一致する不思議さ!妻と私、赤い糸で結ばれていたのかなあ~、なんて事は実際、妻には死んでも言わぬが、、、、、、、、、

いやあ~ 驚いた。

2012.01.22.07:05

いやあ~ 驚いた。比国在住の視点と言うブログなさっている、HN名VRAI氏、多分、漢字では無頼と書くのかな、想像ではあるが、とにかくこの方から、コメント頂いた。

まったく想像だにしていなかった。

彼のブログ比国関連ブログでは、極めて珍しい硬派ブログで、なおかつ、比国人擁護論に立つ、この事でこのブログでは、比国人サル人論者や、比国人ロクデナシ論者との間で時々、諍いが起きる。正直言って外野にて眺めているぶんでは非常に面白い。(失礼)

私もどちらかと言えば、比国人擁護論に組す。それはVRAIさん同様、私の周りの人間、親戚、友人含めて、所謂、どうしようも無い人間は1人もいないからである。
確かに、比国人と日本人とは頭脳回路や、思考過程が違うがそれは日本人以外の他の民族も同じで、あえて言えば、日本人が世界においては特殊民族であるがゆえ、それら知らない為に受ける、外国人偏見ではないか!そんな気がする。

私がほかにも感心する点がある。それはこの方のものの見方というか視点が非常に鋭い、また、どこで、知識や情報仕入れているのかは分からないが、常に先端である。又、歴史、民俗学にも詳しい。

この方のブログとこの方とは対極に有る、ロクデナシひろし氏のブログ、共に面白いし、表現は異なるが比国や比国人に対して愛情が溢れている。

私の場合、比国人擁護論に組すと言っても全面的ではなく、過去においては比国人サル論者や、比国人屑論者のいう事も頷ける経験は幾つもあった訳で、ただ、それは比国、比国人といったある部分で、そういう事も有る、その程度である。

問題は比国という国が民主主義とは名ばかりの大衆搾取資本主義というか、又、大衆も長年の植民地根性がDNAに沁み込んでしまったのか、年がら年中の南方気候で能天気志向になったのかは定かでは無いが、国、変える、政治改革、体制変える、そのような運動が起きない、仮にあったとしてもそれはある目的スポンサー付きで実態はない。
真に自分の将来や家族の将来考える、この種の優秀な存在は比国は捨てる、これは中国人も朝鮮人も同じであり、
特に優秀な比国人は語学も強いし、人との摩擦は避け融和するし、民族間で助けあうし、住み着いてしまえば、その地で成功者が多い。

それに比べたら、日本人比国在住組、詳しくは知らぬが日本人が日本人騙す、食い物にする、そんな噂さ、良く聞く、実際本当なんだろうか?
本当だとすれば情けない話だなあ~

母の誕生日

2012.01.18.13:38

たった今、母と話した、それは今日、母の87歳の誕生日だった。電話の会話、元気そうだった。だが、私としては何か、辛い、情けない思いがある。それは長男坊の私が母の側にいてやれない、

私には年老いた犬がいる、人間年齢で言えば100歳、越えている、この犬と私の母と妙にダブル、どちらも私にとって大事な存在だ。だがしかし、もう直ぐいなくなる存在に対し、何も出来ない。

私にとって、大事な存在、1番目は母だ、次は嫁さん、3番目は愛犬ブラッキー、だが、母と愛犬は、そう考えると私の残りの人生は、結構辛い、

母さん、ブラキー、長生きしてね!

文章に纏まりがありません。それは次の理由です。

コルト45、ビールにウオッカ割りで酔い度80度、まあ、アル中です。

ある板での死亡記事

2012.01.18.02:16

ある板で死亡記事が載った。
HN Toshi氏、この御仁とは実際には会った事はないが、ある関わりがあった、それは私がマランダイという似非ヒュウマニストの主催するブログで彼に小馬鹿にされた事から始まった諍いだった。

彼の事は良く知らないが、記載された投稿みるかぎり、なかなかの博識の持ち主で有る意味、たいした人物と思っていた。だが、例の原発問題で私の投稿に対して、こ馬鹿にした投稿返してきた。今、考えればもっと冷静であればよかったかな、と思うが、まあ、私の性格上仕方が無い。

暫く、引っ込んでいたが、マランダイとの諍いの最後に顔出し、マランダイに同調して本気でやれば、もっと徹底的にやれた、などと捨て台詞吐いていた。

この御仁、比国関係板では有名人らしいが、私には卑怯な人間としか記憶が無い。

心臓関係での突然死らしい、死んだ人間、悪くいう積もりはないが、といって彼の死、悼む積もりもない。
人間、良い関わり方での関係は忘れがちになるが、自分に傷与えた人間の事は忘れないものだ。

身内の恥

2012.01.15.12:51

昨年の31日、義理の叔父が亡くなった。

この叔父、叔母は親戚の間では成功組で、私が子供の頃は金持ち小母さん夫婦だった。だが、この夫婦にには子供が出来なかった為、叔父の妹の第3子、貰って養子とした。月日は流れ、この貰った子供、出来が悪かった。離婚2回、一回目は慰謝料、親が払った,2回目、連れ子の女と一緒になった。今でも1階に住んでいる、だが本人は新しく出来た、女と別にアパート借りて住んでいる。

叔父の死んだ理由、栄養失調、この叔父は元ANA.ヘリコプター学校の教官、それが何故、こんな死に方、義理の叔父はアルコール中毒、食事はせず、私の母はの妹、叔母は、アルツハイマー、家庭が崩壊していた。

結局、葬式は無し、

父方の親戚から、多少の文句はあったようだが、息子が指揮っている以上、それ以上はいえない。

私達、夫婦には子供がいない、その意味ではこのような悲惨な結果はありえないが、小母さんが生後1週間でもっらって育てた、子供が、馬鹿、下らん男、下衆、全く持って哀れ、そのものである。

これって育て方が悪いのが、遺伝的に下らん遺伝子が作用するのか、証明されていないが、この私のとっての従兄弟は実の父親、、ロクででも無い、血筋、引いていのは、間違いない。

私の実の小母さん、残念ながら、助けられない。 結果論で言えば、貴方がそういう育て方、したんだよね。

混沌

2012.01.10.13:54

EUの財政危機から、イランの国際制裁によるホルムズ海峡閉鎖だったり、2012年は、色んな事が起こりうる激動の年になりそうだ。

改めて、我が祖国、混沌と困難がやってくる。が、しかし、有る意味、日本人も能天気民族である。政権与党は成り済まし朝鮮人政党に支配され、経済、財政はアメリカのユダヤ財閥の影響下、マスコミは中国、朝鮮電通の支配下、地方自治は、朝鮮、同和の影響受け、いずれ、本当の日本人が泣き見るような政策、東京のある都市では、もはや、中国、朝鮮、租界、
東北大震災で疲弊した地方、何の復興もない、民スがだらしがないのだが、誰も責めない。何時から、日本人は、こんなにだらしない、情けない民族になってしまったのか!これが中近東であれば、当然革命が起きて当然の国情である。

私は、国政選挙の際、もし、日本国民が民主党、選択すれば、それは終わりの始まりで、その付けは選んだ国民がその付け、払わなければならない、そんな意味の意見、当時参加していた、某政治ブロにて書いた。

気持ちとしては、ざまあ見ろ、言った通りになっただろう、だが、そうは言っても日本人、何とかして、我が同胞、次の世代につなげたい。
しかし、ひ弱で脆弱、下らん次期世代の日本人、彼らには国守る気概はもう、ないだろう。

多分、後100年で日本は中国の自治領になる。まあ、良いや、その時、私は死んでいる。

思い出

2012.01.07.14:42

2度目の訪比、当時医科大学の医学生だった、現在の義理の弟、同じく医学生だった彼の兄、それと今でも付き合いが有る当時の彼の学友、そして私、4人でバギオにいった。
そこで、彼らの友人で医者のキャ二オ氏のお宅に伺った。ちなみに、彼は後日、私の結婚式でのスポンサーでも有った。それはともかく、彼の家に入った際、彼の祖母に会った。
その時の事は今でも鮮明に覚えている。その理由はその祖母が、私が日本人と分かると明らかな敵意見せたからだ。

バギオは山下大将率る日本軍が敗走重ねた、最後の場所で激戦地でもあった。日本軍も軍規ところではなく、生き延びる事で背一杯、食料も無く、強奪、さらに、現地民に相当残虐行為もあったらしい。

その祖母も言っていた。実際この種の残虐行為目撃し、忘れられない、日本人は大嫌いと言った。なんとか息子がとりなし、その場繕ったが、私にはショックだった。
私は戦後生まれ、結果に対しての責任はないが、古い時代の比国人は決して忘れてはいなかった。

有る意味、比国の真の独立は、日本の統治が引き金にはなったが、それは政治の問題で、当時の国民感情ではまだまだ、日本人は憎悪の対象でもあった。

辛い思い出だった。

当時の戦争史、日本側も抗日ゲリラで相当被害が出ています。比国側も日本軍に協力した側、そうでなかった側、日本が敗れた際、色んなドラマがあったそうです。

ちなみに妻の両親は日本統治時代に結婚したそうです。

着物で礼装

2012.01.07.09:37

明日は通っている教会で、年に一度の着物着ての集会だ。まあ、男は年寄りの何名かと女性陣になる訳だが、私も紋付袴、正月用に礼装する。日本にいた時、それこそ、お正月にしか着なかったが、紋付袴は初めてである。

この一式、ぞうりから足袋まで含め、妹が浅草まで行って買ってくれた。

今日は知り合いの家に行き、着付け習ってきた。なかなか、独りでは着られない、特に袴の着方が難しい、初めて分かった事だが、袴ってスカートになっていた。私はズボンのような物と考えていたが、違っていた。

着付け終わって、姿見で見たが我ながら、様になっていた。馬子にも衣装とはこの事だ。

今思い着いたのだが、この衣装きて、髷の鬘かぶり、日本刀腰にさせば侍の出来上がりだ。今年のゲイパレードの仮装祭りに出てみようかな!!結構受けると思う。

紅白歌合戦

2012.01.01.17:42

先ほどまで、紅白歌合戦見ていた。
そして、思った。私は日本人、国籍はもうカナダ人になってしまったが、心、精神は、あくまで日本人そのものだ。

特に今年の紅白は、震災の影響もあり、日本人、故郷が強調されていた。だが、この点については、日本国内に住んでいては本当の国の良さが分からない、何故なら、それは国から離れて、遠く異国に暮らし、望郷の思いガあって初めて感じる感覚だからだ。

確かにこの国には少ないが日本人はいる、だが、それは移民でいえば、日系4世、彼らはもはや日本人ではない。日本語が話せない、その意味では本当に淋しい思いしている、だが、日本から脱出し、この地選んだ身、文句は言えない、望郷の思いは強いが、もはや、日本に私の居場所はない。

妻は比国で大学出たが、その後は日本生活の方が長い、2人で紅白歌合戦見ながらの感想、演歌は良いねえ~、そう、言ってた。

根っこは比国人の妻だが、場面によっては日本人になってくれる。
これって、有り難い事なのかなあ~。

結婚記念日

2012.01.01.06:48

昨日、12月30日は、私達夫婦の第35回目の結婚記念日だった。

いつもは、何もしないできたが、今回35回という事もあり、外で食事でもしよう、と言う話になった。
が、結局、2人とも改めて食事なんて、面倒くさいとなり、結局いつものように家で食事となった。

夫婦もこれくらい年月が経てば、ロマンはなくなってしまう〔笑い)。

それにしても、よく持ったと思う。

私は結婚という事に対し、1つの決意があった。それはいかなる女性と結婚しても、けっして自分からは別れないという事だった。但し、相手から別れの要請があれば、それは致し方がない。そう思ってきた。これは私が子供の時に両親が離婚した事が原因だった。

しかし、縁とは不思議なもので、結果的に言葉も文化も習慣も違う異国の女性と結婚してしまった。当然行き違いやいざこざは数多くあったが、離婚という話までは何故か進展しなかった。
これは愛情があって長続きしたのか、それについては良く分からない。いずれにしても、別れるのも特別なエネルギーがいるし、もう、そんな元気もない。

食事の後、妻がこう言った。来年も仲良くしましょうね。
私にしてはよく出来た女房。そう思ったが、返事はしなかった。
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