阿呆親父のキューバ顛末記3.

2015.05.26.22:13

キューバ顛末記、色々書いてきたが、、、、ここでの食事、基本的には朝、昼、晩、大きなカフェテリアでのバイキング方式、内容はそこそこのホテルと変わらない位豪華で有った、酒類も多く充実していた、メニューは毎日少しずつ変わり多少変化をつけているようであったが、基本的にはおおむね同じもの、その他にもレストランとして海鮮レストラン、正体不明料理のロマンテイックレストラン、ギリシアレストラン、イタリアンレストラン等、

これは滞在客が通常のバイキング形式に飽きたような場合、事前に予約すればその場所で食べられる、だが、常時空いてる訳ではなく、日替わりでオープンするようだった。

ある時、この海鮮レストランで食事をしていて外で食事の後の一服をやっていたら、違う場所のシェフ2人がそれぞれの家族と食事をとっていた、彼らが帰り際に私にこう聞いてきた、どうですか、この海鮮料理?、、、海鮮料理と言ってもグリル、炒めモノ、スープ、海鮮サラダしかなかったが、私は正直にこう答えた、味はまあまあだが、問題はそれぞれの素材の味を生かしていない、結局、みな同じ味になってしまっている。

そこで私は日本の海鮮料理を食べた事があるか?と質問したら全く経験がないと言っていたし、本当の鮨と刺身は食べたl事もないと言っていた。

あるシェフがこう言っていた、自分はドミニカで5年位修行をしたが、結局のところ、基本はスペイン料理で香辛料、スープ、味付け、みな一緒にして料理をするため最後は同じ味付になってしまうと、それぞれの素材を生かした料理方は学んだ事がないと言っていた。

これは先に紹介した他のレストランも同じで、レストランのタイトルが違えど味付けに関しては皆似たような味になっていることと関連しているのかもしれない。

つまり、同じシェフ、同じスタッフが店をかえて料理しているのでメニューは違えど結局は同じ味になってしまうらしい。

まあ、ここにくる観光客、味にうるさいグルメな客はいないようで別に文句はでてはいないようだが、こんな料理をだしていれば東京なら確実に潰れるレストランになる。

どの店でメニューをみたが、すべてコース料理でただそれをそれぞれの言語で書いているだけだった、英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、なんの事はない客が好きなものを選べるシステムではない、まあ、無料なので文句は言えないが、、、、

事、料理に関しては日本料理が世界で一番だと思うし、日本人が一番舌が肥えていると思う、ただ観光客、リゾート地で料理を楽しみに来ている観光客は多くないのでこんなもんだろうと思うが、ただ、レストランのスタイルとして店構え、雰囲気、客にそれぞれ楽しんでもらおうとする趣向など努力をしているようではある。
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ロビーでピアノを弾いていたキューバ人女性、どうやら音楽大学学生らしく、演奏していた曲も自分でアレンジした部分もあって楽しめた、次回の再会を期待して10ペソのチップ(ドルで13ドル)上げたが、演奏は1週間に1回とか、滞在中の再会はできなかった、ちょっとチップあげ過ぎたかなと思ったが出来上がっていたため、例によって、ま、いいか状態だった。


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ビーチ売店にいた格好いいおねえちゃん、ビーチにいるといつも寄ってきてモヒートをサービスしてくれた、これも多分チップのせいもあるかもしれない、いや、絶対にそうだ、そうじゃなければこんな爺い、相手にする訳がない(笑い)

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同じくロビーで歩く銅像というか、そのようなパフォーマンスをやっていたあんちゃん、


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施設内で見かけたマンゴツリーとバナナツリー





此処に集う観光客、まあ、人種、国籍も様々、シニアの老人たち、家族連れ、妙齢の女性達、若いカップル恋人達、色々いたが、東洋人は少なかった、目についたのは白人と黒人のカップル、男性が白人で女性が黒人、このカップルが結構あった。特に黒人妻、みな体が大きく,お尻が巨大でよくこんな女と一緒になったものだと妙に感心していたが、人はそれぞれ好き好き、文句をいう筋合いはない。

キューバ人、これも様々、基本的にはスペイン系が多いが、その昔、革命以前のキューバ、サトウキビ農園奴隷として連れてこられたアフリカ系黒人、鉄道建設に従事していた中国人苦力の子孫、南アフリカから来たインド系、様々な人種が混血していて純粋なキューバ人と言うのはいない、言い方はよくないが革命によって金持ち階級キューバ人の多くがアメリカに去ったので残ったのは一般貧乏人のキューバ人、だが今や多くのキューバ人、世代的には革命から数えて第3世代、第4世代、現状の生活が当たり前だと思っている世代がほとんどであった。

多くのキューバ人、勿論言葉はスペイン語しか話せない、英語を話せる従業員の多くは高校や大学で英語を学んだと言っていた、キューバの教育水準、結構高いが、問題は良い教育を受けても働く場所がない、仮に職業としてよい職業についても、医者、弁護士、会計士、エンジニア、大学教授、など、給与水準からみれば一般労働者よりは高いと言った程度で特に彼らが高額所得者という訳ではない、

白人系キューバ人女性、顔は綺麗でそこそこ可愛いが、どういう訳か体つきがみな似たような形をしていた、多分スペイン系のDNAなのか、中背で小太り、みなお尻が大きい、十代の女性はそれなりに魅力的だが25歳を過ぎると明らかにオバちゃん体型、それに比べて黒人系女性、特にムラートと呼ばれる白人との混血女性はスラットした細見で恰好よい女性が多かった、まあ、私はもはや女性に興味がないのでどうでも良い話なんだが。

今、アメリカ政府もキューバに対して敵性国家、テロリスト国家指定を解除、国交復興を目指して協議中とある、ここで働く従業員の何人かに聞いてみたが、外国に行った経験があるものは皆無だった、それは国家として自国民の海外、制限をかけていることもあるだろうが、一般国民の所得では海外旅行何ては夢でしかないようだ、ただ、これからアメリカとの国交が回復、部分的にもアメリカの資本主義経済が入ってくれば恐らく人々の意識も変わり、それによりキューバの政治体制も変わってくると思う、資本主義、自由主義経済が入れば社会に格差が生まれのんびりした生活も変わらざるを得ない

努力しなくても政府からの食糧配給と国家からの様々な援助がなくなる世界、福祉と教育、それも続けていけなくだろう、だがそれは世界にあった社会主義、共産主義国家が過去に辿った道、キューバが今後どのような国になっていくかそれは国民の選択によるが、いままで全てお上にお任せだった国民意識、難しいかじ取りだと思われる。


また、キューバに行くかどうか、正直に言えばちょっと飽きた部分もある、のんびりした良い国ではあるがアル中ハイマー徘徊老人にとってやや刺激に乏しい(笑い)

それはともかく、ニコチン中毒、アル中の私にとっては煙草は安いし、キューバンラムも安くて美味い、カナダから僅か3時間半で南国パラダイス、海は綺麗だし、姉ちゃんも綺麗、特に寒くて厳しいカナダの冬の時期、誘われればまた行くかもしれない。


読者のどなたか、一緒に行きますか?

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メモリーリゾートの看板。
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そして綺麗だったサンセット。


これにて阿呆親父のキューバ顛末記シリーズ、お終い、実をいえばもっと馬鹿をやらかした写真もあるのだが、これ以上阿呆親父の品位を落としても、、、、という訳で載せない。

何を言っている!、、、、、品位なんて最初からないじゃないか、、、、、、、、御もっとも(笑い)


追伸

現在日焼けで皮膚、皮は剥けボロボロ状態で気持ち悪し、体調は戻らず一日一回の食事もやっと、全て自業自得、しょうがない。馬鹿は死なきゃ直らない典型見本のような私、とは言えよくなればきっと同じようにするでしょう、まあ、阿呆です。

いずれにしても読者からの温かいご心配や思いやりのこもったコメント感謝していることには変わりません。

コメントに対してのお返事、遅くなりますがぼちぼちと書いていきますので御容赦の程を!!




阿呆親父のキューバ顛末記2.

2015.05.26.06:49

今回一緒に旅行した面子、前回同様ジミーという中国系比国人とその妻ジェニー、そして彼らの友人一家セザール一家、ジミーは長年経営していた薬局を売って完全リタイアし悠悠自適の身である。年齢は多分75歳位、スケベ話が大好きな爺さんでまた、よく食べる、見ていたら人の2倍くらい、喰っていた。
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このジミー、キューバが好きで過去に何回も来ているといっていたが、それはジミーが生まれ育った比国の田舎がそっくりそのままキューバに残っているからだと言っていた。

そのような話、なんとなくわかるような気がする、それは私達、昭和団塊世代の爺いたちがフィリピンに最初に訪れた頃、なんとなく私達が生まれ育った昭和初期の日本の田舎と被るような思いを味わったからだ。
ある種のノスタルジー、郷愁というようなものが確かにあった、だが、今のフィリピンにはもうそのような雰囲気はない。

キューバの観光産業、国策で1番大きい産業である、全ての観光事業、施設、そしてそれらに従事するもの全て国家公務員、施設には陸軍の兵が警備任務に就き、警察も始終パトロールをしているし、施設自体の警備従業員も多く配置されていた。

此処で働く従業員、何百人もいるで通勤が大変だと思っていたら、施設の奥に従業員宿舎らしい大きな建物があった、おそらく、ここで契約によって何か月単位で暮らしているのだろう、従業員はそれに従事する仕事で制服が違い、いったん仕事と地位が決まれば他の部署に異動とか昇進とかはないように思えた、もうひとついわゆる観光事業にしては誰も名前の付いたプレートを付けていないこと、ここの部長クラスの人間と話す機会があって名刺をもらえるかと言ったら名刺は持っていないと言っていた、これも私の想像だが、特定客とのそれ以上の関係を作らない、そんな方針があるのかもしれない。
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トロントから来たと言っていた美女たちと一緒にこの大きなロブスターを食べたが、調子が悪く沢山残してしまった、今考えれば勿体なかった。
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ご存じ、大好きなカクテル、モヒートでほぼ酩酊状態の私。

此処の従業員、客と同じ食べ物は食べられない、とにかく食事中でも終わったかどうかよく確認もせず直ぐ下げてしまう、まだ量がいっぱい残っているのにゴミ箱に放り投げていた、これもある種の監視システムなのかどうかは分からないが、一緒にいったジェニーがこのバイキング形式で取った美味しいハムとかチーズとか肉とかを上手く隠して部屋に持ち帰り、後で仲良くなった従業員に内緒であげたら本当に喜んでいたそうだ。

いずれにしてもこれらの観光施設で働くキューバ人、運がいい、場合によってはチップももらえる、ただ客からのチップ、観光客用通貨、一般キューバ人のお店では使えない、ま、裏のやり方もあるのであろう、

以前の記事でも書いたが、今回も妻の着なくなった夏用衣類、私の夏用衣類、たくさん持って行った、ジェニーがまとめて渡す人間を選んで上げたそうだが喜んでいたそうだ、確かに一般キューバ人の服装を見たら色の褪せたTシャツや女性では何だかわからないパンツルックで、妻が着ていたおしゃれなファッションドレスなんかどこにも売っていない。

観光バスガイドの男が言っていたが、貿易での外貨獲得は全くないのでこの観光事業で得たドル、貴重だそうだ、これで海外からの輸入品の決済、食料品の決済、国内二重通貨導入によって経済をコントロール、一般国民が勝手に儲けることができないような社会主義国家のシステムがあるのだろう、

そういえば部屋でテレビをみていたら、小学校の生徒が何人もキューバ革命を賛美するような発言をしていた、おそらく昔の中国た東ヨーロッパの当時の共産党国家同様、小さい頃かの思想教育が徹底しているのだろうが、国は鎖国していない以上、いずれはこのシステムは破錠する、ガイドも表現を抑えた形の発言であったが、現在の政府もそのことは分かっているらしく、なんとか急速な変化だけは避けたいらしいと言っていた。


おまけの話

滞在中、近くのリゾートへ馬車で、そんな事で4人乗りのカレッサという馬車に乗った、座席が対面席だったので御者の隣で先が見渡せる場所に座ったがこれが大きな間違いだった。
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というのは馬の尻尾の下に排泄用のシートがあって馬が用をたすとき自動的にそのシートに馬糞がたまる仕掛けになっていてその匂いがまともに御者席に吹いてくるのであった。
その匂い、香ばしいというか、強烈というか、キューバ人御者は慣れていて平気だろうが、私はまともに匂いを嗅いでいて頭が痛くなってきた。

この馬、御者は強い馬だと言っていたが炎天下、結構速いスピードで走らせたせいか、帰りにはリゾートまであと5分くらいという場所でへばってしまい、一歩も動かなくなってしまった、御者は鞭で叩いて動かそうとしたが、可哀そうにその馬、完全へたばっていて我々も可哀そうになり降りて徒歩で帰った、、、人間に生まれて良かった、つくづくそう思った1日だった。

阿呆親父のキューバ顛末記。

2015.05.26.00:05

やはり私は紛れもない阿呆親父であった。

旅の最後の2日間、病気になってしまった。一つは急激な日焼けの為、上半身が真っ赤に焼けてしまい、熱を発して痛み夜も眠られず悶々とした2夜を過ごした事、もう1つはリゾート施設内、どこで飲んでもアルコール類ただ、そんな事で毎晩、ウオッカ、ウイスキー、キューバ名物カクテルモヒート、ビール、もうちゃんぽんもいいところ、そんな訳ですっかり胃がいかれて丸2日間、食欲がなく何も食べれなかった。この影響が帰った後も残り余り食べられない。

相も変わらない懲りない親父である。

さて今回のキューバ旅行、格安のパッケージ旅行、飛行機代、リゾート施設部屋、食事、アルコール類、施設内レストラン、チップ全て込で8百50カナダドル、リゾート施設としては前回に行ったバルデロに比べると豪華で巨大な施設であったが、飛行機自体は横6列シートで32番まであり、席が狭く身動きできず最悪、約3時間半のフライトで食事はサンドイッチとジュースのみのお粗末、アルコール料金は別途、ま、これは料金からいって致し方がない。IMG_1738.jpg
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今時、階段から歩いて降りるローカル空港、だがれっきとした国際空港である。

通関手続きは思ったより難しくはなく、簡単な質問のみ、要はエボラ出血熱発生のアフリカ諸国を最近旅行したかどうかだけ、だが一緒にいった友人家族の娘さんのバッグが一つだけ行方不明の為、迎えのバス乗り込みには時間がかかってしまった。

尚、この紛失したバッグ、次の日には届いていて娘さんも喜んでいた、そりゃそうだ、ビーチやリゾートで着る数々のファッションが詰まっていたからだ。
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遠くに海が見える。
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滞在した部屋は独立したヴィラタイプ、私は広い部屋を一人で使っていた。
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この部屋からの移動にはベルボーイが運転するゴルフ場で使う大型カートで移動する、広くて巨大な施設、歩くには適さない。

早速両替で現地通貨(但し外国人専用通貨)に交換したが、100ペソは130カナダドル、結構交換率は高いが施設内では殆どが無料なので結果たいしては使わなかった。

次の日、観光バスで他のリゾート施設近くにあるというフリーマーケットに行ったが、お土産用の所謂ガラクタで興味がわくものはなかった。

それはともかく、このリゾート施設から一歩外に出ると景色というか様相が一変する、本当に見事というくらい何もない、道路は綺麗に舗装されているが、まず車が走っていない、交差点に信号機がない、玉に見かける対向車、1950年代製シボレーとかロシア製何とというポンコツ、アメリカ製、表面上は立派なビンテージカーに見えるが、部品はオリジナルはなく笑ってしまったのはエンジンはロシア製のデイーゼルエンジンだということ、どうりで黒い煙を出すはず、

人々はただひたすら歩く、歩く、それ以外は馬を使った荷馬車、牛にひかせた荷車、一体この景色はいつの時代なのかと思われるくらい何もない。
時折見かけるおそらく農家、部屋が2つくらいの粗末な家、屋根はヤシの葉っぱ、窓にはガラスもなく日差しを防ぐサンみたいものだけ、たまにテレビのアンテナみたいなものを見かけたが、テレビがある家そんなには多くないはず、家の周りにはキューバ産の小さな馬や牛が草をはんでいたり、鶏やアヒルが放し飼い、畑らしき場所もあったがなんとなく放置されているようにも見えた、よくわからないが多分、農地で収穫されたもの自由に売ったりすることができないのでは、?

この国では人々が自由にものを売ったり買ったりすることが禁じられているのか、そのシステム自体がないのかはわからないが、こんな国、いまどき存在する事自体、不思議な気がした。

とにかく、フィリピンのどんな辺鄙な田舎にもある通称サリサリストア,小汚い雑貨やなんだが、それすらないこのキューバ田舎社会、ただ時折見かけた子供の学校制服姿、さっぱりして恰好よかった、これは子供の入学時に政府が無料で支給し、予備服までいれて全て無料だそうだ、だがキチンと洗濯し管理には厳しいと言っていた、。


続く。

旅に出ますので暫く更新は休みます。

2015.05.15.23:44

今回2度目のキューバ、フィリピン人の友人達と行く事になった。

場所はMemories Holugin Beach Resortというところで、首都ハバナの近辺らしい、季節は多分、夏、暑いかもしれない。

寒いよりは暑い方が好きなので問題はないが、さてどんな旅になるのか、今回のリゾート、ハバナに近いと書いたがなにせキューバ、交通機関が発達していないので仮に近いと言ってもタクシーをチャーターしなければならないだろう、前回、このハバナ、一日観光で回ったが余り良い印象はなかった。

同じく赤道に近い南国のフィリピンに比べると、何か活気というものが全く感じられなかったからだ、確かに社会主義国家、大金持ちもいなければ極貧貧乏人もいない、これが左翼左巻きの理想国家の姿かも知れないが、日本の国内、生まれた時からなんでもあり、言論も統制されず、食べたいものも食べられ、買いたいものも買える事ができる国で生まれ育った人間が説く理想の社会であるとするなら、このも脳タリンどもは全く分かっていないと思った。

この国は統制経済、だが国として外貨を稼ぐ手段はほとんどない、唯一の産業だったサトウキビによる砂糖生産、これも旧ソビエト連邦時代のロシアに国際価格よりも高い値段で買ってもらっていたため、競争力や企業努力がなく、冷戦構造が終わりロシアが買い上げをしなくなった途端、このような高い値段ではどの国も買わず、国際的競争力を失い、あっという間に産業として悪化してしまった。

更には隣国アメリカからは経済統制をうけ実質国交断絶状態、そりゃそうだキューバ革命でアメリカ資本だった国内産業の多くを国有化、社会主義浸透を恐れるアメリカからみれば喉元に突き付けられた刃みたいな存在、早く無くなってくれと願っていた国だった。

そんな訳でこの国には金があっても買う物がない、通貨も人民ペソと外国人専用ペソの二重建て、人民ペソ、国際的にはゴミ屑、何の価値もない、だが外国通貨をもっていればそれなりの贅沢品は買える、買える場所は外国通貨か外国人専用ペソが使えるお店のみ、亡命キューバ人からの送金で多少潤っているクラスもあるようだが現実には彼らだって裏では買えない。

詳しくは分からないがキューバ国民の平均月収、多分、円換算すれば1万円以下だと思われる,それでも南国、食糧は政府からの配給週2回程あり、何とか食べていける、寒さで飢え死にすることもない。

デパートやショッピングモールもあるが、例えば食料品を買うお店にしてもそこで全てを揃える事が出来ない、勿論デパートやモールにしてもろくなものしか売っていない。
だが、その状態、多くの国民は生まれた時からのであってまあ、当たり前、そんなものだと思っているから不満はあるだろうが、暴動までには至らない、共産主義、社会主義国家、ある意味一党独裁専制政治、そんな政治体制下では自由にものを言えない、言ってもしょうがないし、仮のそのような事を声高に主張すれば次の日にはその姿はない、そんな事も皆しっている話であり、それも当たり前の日常なのだ。

金さえあれば何でも手に入る社会、これが当たり前と考えているが、そうではない社会というのはある意味不思議な社会である、それは競争して金を儲ける、そして成り上がる、意味がない世界、人間という者にとって一体どういう世界なのか、私はキューバ人ではないのでその感覚が解らないが、多分欲望がない訳ではないと思う。

そんな中、いよいよキューバとアメリカの国交回復が始まる、キューバ政府も社会主義路線を一部変更して市場経済政策を取り始めるらしい、だが、その先にあるもの、それはもしかしてカリブ海唯一の社会主義独裁国家の終焉になるかもしれない。

政府が慎重に政策をコントロールしても、ダムに空いた小さな穴のように、いったん空いてしまえば、その穴は広がっていきダム自体がいずれは決壊する、私はそう見ている、キューバ国内に市場経済、競争原理が持ち込まれれば当然社会格差が生まれる、周りをみれば皆同じ、そんな生活はなくなる、それはお金があれば何でも手にすることができる社会、人間の欲望が実現できる社会、日本にやってくるそこそこの中国人による爆買い、爆喰いのようになるかもしれない。

キューバ革命を指揮した革命世代、もう僅か、いったん市場経済政策を導入すればもう後戻りはできない、人々にしても一旦味わった、豊な生活、離すはずがない。

さて、どちらの時代がキューバ国民にとって幸せなのか、それはいずれキューバ国民がその判断を下すと思うが、社会主義、共産主義、社会の体制としての思想、元々、無理な思想だったのだろう。


帰ってきたらその辺の感想も書いてみたい。


ラップトップPCを持って行こうと考えて色々調べたが、キューバ、流石、社会主義国家、インターネットがまだ完全には普及していない、リゾート施設やホテルでも一部使えるが料金は高いし、不安定、そういう訳で今回もPCを持っていくのは諦めた、やることもないから毎晩飲んだくれか、そういえばバーで演奏していたコンボバンドのCDを前回買ったが直ぐ音が切れたりして駄目になってしまった、流石、キューバ製品、値段は10ペソ、約1000円、もう買わない。

男と女の間には深くて暗い河がある。

2015.05.12.23:07

この表題のフレーズ、どこかの歌謡曲にあったような記憶があるが、そういう事もあるかもしれない。

夫婦、基本的には他人同士、それがどういう訳か親でも兄弟でもないのに寝食を共にする、不思議と言えば不思議、それが絆というものなのか、私は絆という言葉がよく解らないし、一体絆って何だろう?

最近では恋愛と結婚は別次元のものだそうだ、恋愛は楽しむもので結婚はいわばビジネス、これには条件があってその条件が整わなければ成立しないらしい、

その条件とは、将来的にまあまあ、そこそこの安定した生活を送る事の出来る収入が確保できている事、ややこしい係累がなく、性格もそこそこ穏やか、とにかく波乱万丈な生活は避けたい、てな事で結婚するらしい。

愛、多少はあるのだろう、しかし、それが錯覚愛だったとしてもそれが発覚しない限り問題はない、深く魂が結びついた結婚なんて重くて、やだ、なんて女性が多いそうである。


私など昭和団塊前期世代、演歌世代の価値観で育った人間にはへえ~、と思ってしまうし、よく解らん。

そう言う私も、では本当に心から愛し、その人の為なら死んでも良いと思った女はいたかと言われれば、、、、、、


そんな女、あったことはあったが今となってはそれが本当にあった事なんだろうか、と思い出す、手首に残った傷跡を見て実際にあった事なんだと実感するぐらい、その当時が修羅場であったとしても淡い記憶でしかなくなってしまっている。
心中、、、、、自殺、、、、


勿論、女性と男性では別れや修羅場に対しての感じ方は違うと思うが、私は男なのでその時の女の気持ちに関しては、そのことが解らない、、、実際にはそのような振りをしていた。


ただ、長年夫婦をやってきて結局のところ、男と女の関係はその組み合わせに尽きると思うようになった。

私の両親は私が小学生の頃に離婚した、私の父は外面の良い弱い男で下らない男だったが、もし彼が母とは違う女と一緒になっていたらそれなりのささやかな幸せがあったのでは、そう思っている。それは私が高校生になってから父が再婚した女性を父が私に紹介したからだ、その女性、外見上は母とよく似た女性だったが性格、心情は全く違う女性だった。

少し呑気でおおらかで、言葉は悪いが抜けているようにも思える方だった、だが父にとっては居心地は良い女性だったのであろう、晩年は幸せそうだった。

私は父に愛された思いもないが父を愛した思いもない、だが男として父の母との結婚は最初から組み合わせが間違っていた、それは私自身がそのような年齢と境遇になってから分かった事だった。

私の母は気丈で、所謂強い女、男という者はこうでなければならない言う思い込みがあり、弱い男は大嫌い、そんな女性である、まあ、そのおかげで私達子供はぐれもせずまともな人間になることができたが、戦後の仲人口で一緒になった組み合わせが悪かった一つの男と女の典型だったかもしれない。


そんな事もあって、私自体は結婚した後離婚なんて考えた事はないが、但し、妻から離婚したいと言われれば同意するつもりである、それは相手がもうこの男とはやっていけない、嫌だと思った時点で男と女の関係は終わっていると思うし、女性がいったんその決意をすればその決意が翻る事がない事をよく知っているからである。

離婚したいと言われた事はないが、何故、こんな男と一緒になってしまったか、後悔していると言われた事もあるし、もし、生まれ変わっても又、私と一緒になるかと聞いたら、それは絶対にないと言い切っていた(笑い)

良く、夫婦関係を清算した後、その後の関係で友達同士のような話を聞くが、その場合、きっと別れ方が良かったのか、それほど相手に執着がなかったのかどちらかだと思う、修羅場があって金も絡み憎しみあって別れた男女ではそんな事はありえない、

昔からいう言葉、男と女、別れるのは新しい女を探すより難しい、これは男の場合だが(これは相手が絶対に嫌だという場合)、最近、ある婦人物ブテイックを経営する妙齢の女性経営者と話をする機会があった。
ご本人は子連れ再婚、旦那は初婚だったそうだ、最初のご主人は本当に愛した男性、再婚男性はその状況を受け入れて連れ子も暖かく迎えてくれた男性、でも、ご主人も良い人ではあるが最近病気がち、会話もなくなり、一緒にいても楽しくない、そんな事を言っていた、だが別れる、そんなエネルギーはもうないとのこと、正直な方である。

これは別に不満ではないのだ、だが、女性もある年齢、その先の人生が見えてくると感じる事もあるらしい、だが世の中の亭主達にはその感覚がわからない、どうやら自分と同じだと思っている節がある。

ある程度、生活が自立でき、一人で生きていけるなら、もう彼との生活は嫌、そういう熟年の女性が増えている、その方もそういっていた。亭主元気で留守がいい、、亭主、沢山財産残し、ある日突然ぽっくり、、、、、


世の亭主族、奥様達、こんな事を思っているなんてちっとも知らない、そうなってからでは遅いのですぞ(笑い),、、、

私の妻もそう思っているのかな、、、、、今度、聞いて見よう。


こんな話の続きとして、私は男としてまったく手の掛からない男である事を強調しておきたい(笑い)

つまり、妻から三行半を突きつけられようが、余されようが一向に困らない男である、それは料理は好きで上手だし、掃除も苦にならないし、洗濯も嫌いではない、ミシンは上手く使えないが裁縫はできる、一人でいても寂しくは思わない男だし、むしろ気楽な面も持つ、綺麗好きだし、風呂も好き、

だからあんたは要らないと言われても困らない、もし、そう言われたら、かねてからの決め事通り、財産を半分分けして旅に出る、多分、その途中で客死もあるかもしれないが、それもいいだろう、ベニスで死す(ペニスで死ぬではありません、念の為)、そんな題の映画もあったが私の場合、どこかで野垂れ死に、、その方が当たっているかも知れない。

それ以前によいよいになればフィリピンの田舎の島でも行ってオムツガールでも探すとしようか(笑い)、、だが、妻曰く、お金での関係はそのお金が切れれば、ハイ、さようならだって、

余計なお世話だ、そんな事は言われなくてもわかっている、私はカトちゃんじゃない(怒)

サービス微笑や営業スマイルでもいいじゃないか、ネ、ご同輩、、、

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わがまま、親父

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カナダ、トロント近郊に住む、死に損ないの爺いです。余命わずかなので勝手な事を書き散らしています。

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