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ウナさんも逝ってしまった。

2019.06.16.05:39

私の数少ない友人の一人で、ハシビロコウというブログをやられていたHN, ウナさんこと相良さんの訃報が届いた。

暫くブログ記事が途絶えていた、どうしたのかな、私のブログにもよく訪問してくれていた、気にはしていたが、まさか亡くなっていたとは知らなかった、大阪のブログ友人であるナッチャンからのコメントで知った。

今はウナさんの奥さんからブログを通じてお知らせが載っている。

5月17日に亡くなったとある、しかし、5月15日には彼のブログでコメント返しとして彼の返事が載っていた。

どのような経緯で亡くなったのかは詳しくは知らないが、いずれにしても急死であることは間違いない。


ウナさんとは日本で都合3回程会っている、初めて会ったのはもう4年か5年程前、上野のアメ横にある焼鳥屋で、私のブログ読者の男達が何人か集まって一杯やろう、そこで集まった何人かの一人だった。

この時もウナさん、最後まで付き合ったくれた、その次は私の誕生日会を大森にある小さなバーを借り切ってやった時、その時も駆け付けてくれた、最後は長屋の爺さんの招待で爺さんの地元やった時、爺さんのおもてなしによりどんちゃか飲んで、さらにホテルまで用意していただき、そこでも飲んで大騒ぎ、そして東京に2人戻ったら、Tさん、成増に美味しいうなぎ屋があるので寄って生きましょう、そんな事でそこでも美味しいウナギをご馳走になりながら昼間から出来上がる程飲んだ、それが最後の出会いだった。

実は去年、爺さんも借りがあり、ウナさんにも借りが有ったので、二人を熱海のホテルに招待してどんちゃか騒ごうと企画して段取りをつけたが、当時、ウナさんが仕事の去就が決まらず上手く都合がつかないので今回はご勘弁になり、会う事が出来なかった。


ウナさんという人間、私は好きだった。

男としては少しおッチョコチョイであり見栄っ張りの部分もあったし、酒を飲めば何を言っているか分からないところもあったが愛すべき人間だった。

そして何より裏表がない自分に正直な男だった。

何時かは夫人同伴でカナダにも行くよなんて話もされていたし、私が今年日本にいったならば又、酒でも酌み交わしたいと思っていた男だった。


長屋の爺さんもご自身のブログで書いておられたが、男もある年齢以上になってしまえば先に旅立ってしまう人間が多くなる、その意味では長生きするという事は悲しい現実と向き合う事が多いともいえる。

ウナさん、年齢は私よりは全然若い、長屋の爺さんは兄貴と、そして私を叔父貴と呼んでいたが、また、3人で飲みたかった。

今この記事を書いている私の書斎の机にはウナさんがくれた日本の国旗が飾ってある。



私はウナさんの本名も住所も知っているので、今回日本に帰ったら自宅に伺って線香の一本でも上げたいと思っている。

ウナさんのご冥福を祈りたい。


追記
先程ウナさんの奥さんと話をした、死因は脳梗塞、お風呂に入っていて奥さんが気が付いた時、すでに浴槽に沈んでいたという、救急車で病院に運ばれたが既に脳死状態であり駄目だったという、亡くなる前の兆候として痩せ始め体も弱っていたらしい。

あっけない亡くなり方だが、ウナさんらしいといえばそうかもしれないが、、、、、でも残念である。

余談ではあるがウナさんのブログ、結構女性フアンが付いていた。
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71歳になった。

2019.06.09.03:15

私が住むトロント近郊、この2~3日、温度も20度前後、天気も快晴で爽やかな風が吹き過ごしやすい季節となった。

そんな中、先日71歳となった、と言っても特別な思いもない、こんな事を思うのは多分多くの年寄達にとって同じ思いなのではとは思うがもしかして違う感想を持つ方もいるかもしれないが、それはそれでいい。

今のところ、深刻な病気を抱えている訳ではないし、財政的に悩む事もないが言ってしまえば毎日する事もないつまらん人生の晩年でがある。

深刻な病気は抱えてはいないと書いたが、持病の糖尿病はもう薬では効かなくなってきているし、肝臓や泌尿器科系にもちょっと危ない兆校が見られてきた、酒は毎日ではないが酔っぱらってしまうまで飲むし、煙草も毎日1箱吸うし、運動は全くしないし、健康を保つ事は一切していない、

朝、起きたらとにかく痒くて体中に蕁麻疹が出来ていた、そういえばこの2~3日毎晩酔っぱらうまで飲んでいた、こうなる事が分かっていてやる馬鹿である。

いずれにせよ、この後何年生きながらえるのか私自身は知る由もないが、もし、余命という期間があるのであれば是非知りたいところである。

私はキリスト教会に通う身ではあるが、洗礼は受けていないし、神という概念、天国の存在、罪、いまだに懐疑的であり、否定はしないが私にはキリスト教に限らずこういった一神教宗教は受け入れがたい。

先日もある女性と話をしたが、この方は実家が葬儀屋で彼女自身も納棺師の資格を持ち、遺体の修復や死に化粧もやられていた方で大学では民俗学を学び、日本人の生き死に詳しい中々興味深い方だった。

色んな話をしたが、そんな彼女でも一神教でいう天国、仏教でいう極楽浄土はあると信じていたし、いくつかの点で私とは違う思いがあったが、臨死体験やリンインカーネーション(生まれ代わり)については彼女はそれは存在するのではと言っていたが、わたしもそう思う所もあるが、自分として経験していることではないので断言はできない。

こう言う事を書くと宗教を信じている方には怒られるかもしれないが、私は人類の最も偉大な発明、それは人類が神という概念を発明した事、そう考えている。

だからこのように思っている私のような人間にはどんな宗教だろうが、そう簡単には洗脳されないし、そういう話をされば先ず疑ってかかる。

まあ、死んだらどうなるか、それは知らないし興味もない、天国と地獄があるとすれば多分地獄かな?,iいずれにせよ、あの世から帰ってきてこっちにいかされましたなんて報告は聞いた事はない。


子供の頃、60歳以上の年寄なんて物凄い年寄だと思っていた、それが今の日本では60歳なんて鼻垂れ小僧だという、では71歳の私はまだ青年?,、、そんな訳はないと思うが、確かに日本人自体が長寿化し、実際私の母も94歳になっている、多少のボケが始まっているが、まだ矍鑠として元気である。

私も多少の物忘れがひどくなったまだ頭はシャープだと思っている、ただ、持論としては年寄は長生きはしない方が良い、と思っている。

まず、人生は多少の努力もあるが全て運だと思っているし、世の中は生き物はいつかは必ず死ぬ以外は公平ではない、絶対正義はないし、こうあるべきだという権利もない、私は何度も書いたが人権活動という運動や地球市民とかいう考え方が大っ嫌いで下らないと思っている。
ビーガンという極端な菜食主義者があるが、動物は食べないとある、命あるものを殺して食べるのはよくないいう、では植物や穀物には命はないのか、鯨は喰ってはいけないが牛や豚はいいという、私が通う教会の教えでは烏賊や蛸、鱗のない魚は食べてはいけないという、ではその根拠は何千年も前に書かれた聖書にかいてあるという、
いずれにせよ、すべての生物は他の生物の命をもらって生きているという事だ。

また、死刑制度はいけないという、罪を憎んで人を憎まずとある、そう思う人間達、実際に我が子や愛する者を理不尽に殺されてもそう言うのか、世の中の弱者は守られる権利があるという、最近企業で働く女性はスニーカーで勤務する権利があるという訴えを起こした馬鹿な女があった、、更にヘイトという事で日本に不法にやってきて反日活動をする在日朝鮮人にそんなに日本が嫌いなら祖国へ帰れ、それはヘイトだという、

朝鮮人と呼ぶのは差別だという、韓国人と呼べという、こういう阿呆な人権屋が日本では跋扈している。

世界に荒涼とした砂漠に住む民がいる、極冠の北極や南極に住む民がいる、未開の熱帯雨林に住む民がいる、そこに弱者はいない、それはそのような世界では弱者は生きていけない、そこで弱者にも生きていく権利があるといっても笑われるだけの話で意味がない。

熱帯雨林、未開の原住民が住むアマゾン流域では奪う、殺す事は日常で当たり前、またアフリカ未開の地では白子(皮膚の先天性色素異常で皮膚の色が真っ白)の子供が誘拐され殺されその体の一部が売買される、それはこのような子供の部位を食べれば神のような力を得るとされる迷信が強いからである。

そんな子供達にこのような子供達には喰われない権利がある、そういうのか?

つまり世の中にはいまだに非日常的な出来事が数多くある、それはそれですよ、そうじゃないだろう、平和ボケや能天気、お花畑感覚の日本に住んでいるからこそ、それが当たり前だと思う権利意識、それは社会が守るべきだと思う考え方、戦争が無かったのは憲法9条があったからだと信じる平和ボケ阿呆信者、先日も記事にした北方4島、日本固有の領土だから返せと叫び続けている

露スケがハイ、仰る通りでございます、なんて返す訳はない、これも返してもらう権利があると言ってもお前は馬鹿かと笑われるだけの話、


私自身は長生きを望まないが、家族や社会にとってお荷物以外の何物でもないという存在になれば安楽死という選択もあっていいと思っている、一方、母には長生きしてもらいたいという息子でありその矛盾は承知しているが、、、、、、ただ完全に痴呆、人間としての状態ではない、その時は全ての延命処置は止めようと思っている。

いずれ後何年かで日本は急速に超老人社会となる、そしてAI,人口頭脳による社会革命が起きる、また、地球規模の大災害がいくつも発生するであろう、そのような社会に生き残って果たして幸せなのか、

何故そうなるか、少なくともこれから起きる未曾有の大災害は、能天気国民が万歳三唱してやまない令和の新天皇が即位した事に日本の八百万の神々が怒った、そういう事も有り得る、科学的根拠はないが心情的には理解できる。


来年か、後数年か、もし私が死んであの世にいくとすれば、4年前に亡くなった愛犬、ブラッキーに逢えるかもしれない、そう思うとあの世も悪くはない。

人間交差点。

2019.06.04.00:57

袖すり合うのも何かの縁という、人との縁とは不思議なものだ、いくつかの偶然で全く知らない同士が会って意気投合し終生の友となる場合もあれば、小さい頃から親しくしていた人間がいつの間にか疎遠となり、今や消息不明、生きているのか死んでいるのか、それさえも関心がなくなってしまったりする事もある。

又、親兄弟であってもそれぞれが成人し、家庭をもってもそれぞれ兄弟の連れ合い同士のいざこざや何かで絶縁、ましてや他人になればそれこそ親兄弟同然の付き合いだったとしても何か問題があれば行き来がなくなり今や全くの他人、こんな話は世の中にはごまんとある。

私は長年ブログをやってきてかれこれ17年位になった、その意味ではブログを通じて色んな方と知り合いになりその方に興味を持ち会いに行った事も数々あった、今でも付き合いがある方もあれば亡くなった方もあった、また、なんとなく疎遠になった方もある

私と会って仲良くなった方もあれば一回限りの縁だった方もある、私が感銘というかこの方の生き方は凄いと思う方もあったし、初めて会ったが多分2度と会う事もないだろうな、そんな感想を持った方もあった。

逆にそれは相手も同じだっったのではないかと思う、

人はそれぞれ生きてきた人生や生い立ちで価値観や感じ方が違う、例えその差が微妙に違ったとしても長い間にはそのずれが大きくなる事がしばしばある。

その差をどう埋めようか、そのような思いは今の私にはもうない。

私がかって会社の営業マンだった時代、それこそ得意先には色んな種類の人間がいた、傲慢な人間、卑屈な人間、狡い人間、下らん人間、下衆な人間、逆に良い人もいた、しかし、営業マンとは仕事を貰う為には自分自身を相手に合わす事から始まる、つまり相手に優位性がある、場合によっては黒も白だと言う事もあるし納得がいかなくとも納得せざるをえない事もある。

そこにはつまらん正義感や自分が持つ価値観など何の意味もない、そのような生活を何十年も続けてきた。

又、一方では社内での競争もあった、同期との競争、昇進レース、ヨイショとゴマすり、要領だけで昇進する者、同じ釜の飯を食っていたと思っていたが実は陰で中傷誹謗していた者、いろんな人間がいた。

又、知識経験、人間性が優れていたのに何故か上の評価が悪くそれ以上出世が難しい上司があった、好い人だったが、良い人間必ずしも偉くなれないという見本みたいな人だった。

私も会社を辞めた時は役員待遇部長、そこが限界だった、こんな我がままでつまらん男が逆にそこまで行ったのだから自分としては良しとしている。


私の今はそんな生活とは無縁である、何かに我慢する事もないしやりたくない事はしない、人に頭を下げる事もないし人に気を遣う事もない、勝手気儘に生きている。

要は晩年近くなりそこそこ偶然が重なり、まあまあの老後が送れているだけの話であって、人生の残りをさてどうするか、それに対してもこう生きようなんての明確な目標も目的もない。

やっているのは自身のブログで勝手な事を書いているだけ、ただそうはいってもこれはどう考えてもおかしいとか、これは明らかに偽善ではないか、似非ではないか、これは裏があるではないか、そう感じられる事には反応する。

そう感じて書く記事、他人からみればこの爺い何を言っている、気に入らねえ、馬鹿野郎、右翼だ、差別主義者だ、下らねえ、ま、何でもいいが、そう思う方も大勢いるようである(笑い)

それについてはそれは違うとは否定しない。

コメント欄にこの腐れ爺とか馬鹿野郎とか、罵詈雑言、中傷誹謗のコメントが来るが、前にも書いたが嫌なら読むな、見るなであり下らんコメントは即削除、また、馬鹿が来ている程度の話であり何の感想もない。

私はよく他人のブログを訪問するが滅多にコメントはしない、それは人はそれぞれの価値観や感じ方があり生き方がある、それをそれは違うと言ったところで意味はない、だから嫌味なコメントもしない、当てこすりの記事も書かない、違うなと思えばそこから離れるだけ、同じように新しい出会いもあればさようならもある。

ただ、今の日本を外国に住む身から見ていると、社会風潮というか能天気社会というかお花畑国民というか、この先日本は本当に大丈夫だろうかとい懸念はある。

今日は酔っぱらっていないので記事は過激ではない、珍しい(笑い)

常識とは何ぞや!

2019.05.24.13:37

カナダのスーパー、これは高級、中級、低級とある、良くは知らないが多分日本にもあるのではないだろうか、それはともかく、いわゆるレジにはどこのレジにもエキスプレスというレジが設けらえている、それは8品以下買い物の専用レーン、ところがこういったレーンにもかかわらず買い物かご満載でレジに置く客がいる。

その多くは女の客、玉にレジの人が言う、ここは少数の買い物客専門の急ぎ客専門なんです、ところが、あ、そうなの知らなかった、、、
といってそのまま後の客を待たせて時間を取る。

知らない訳はない、そのレジ正面に表示されている。つまり、彼らが持っている常識とは自分が最優先、自分に取って得になる事でありそれ以外はない。


ずうずうしい? それとは違う生き方考え方、日本人が持つ感覚とは違う彼らの常識。

多分だが、日本でこのようなシステムが導入されているスーパーではこのような話しは有り得ないのではと思うが、、、、、、、、、、、

つまり、何が言いたいかと言えば、日本人が当たり前だと思っている常識、これはあくまで日本に住む日本人だけに通じる常識であって日本人以外の人間には通じない、どうしてそんな当たり前の事が分からないの !そんな事を言っても砂漠に住む民や熱帯のジャングで暮らす民や、ゴミとトタンで作られた家に住む人間には何をいっているのだろう、そうなる。

世界には色んな意味での価値観が存在する、キリスト教的価値観、イスラム教的価値観、ユダヤ原理教的価値観、これらは一神教的価値観であり強い、インドのカースト制度、仏教、精霊神秘主義、何でもいいが宗教的には形だけの葬式仏教で済ましている日本人には理解できない宗教観、生活価値観、習慣がある。

たとえばインドの工場で従業員に終業時、皆で協力して清掃作業して終わらせなさいという、だが、この掃除をすることは俺の仕事ではない、掃除をするのはカースト制下位の人間の仕事だ、そういわれたらどうする?


私はいわゆる世界平和、地球市民 戦争反対、世界は一つ、あるいは愛は地球を救う、こういった能天気キャッチフレーズが大っ嫌いである。


そう言った活動、それを信じている人々に対して否定はしないがある意味阿呆だと思っているし、それが唯一絶対だと思っている独善性にも嫌気がさしている。
偽善と似非満載、そう思うのだが勿論かれらはそうは思ってはいない、そこには彼らなりの思想信条があるのだろうが、私の心には響かない、

だが、その事を言ってみたところでしょうがない、だから、黙っている、そう言う人間や集まりには近づないし距離を置く、結局のところ解りあえないのに無駄な事はしない、まあ、私自身が社会の裏側事情や人間の裏心理がよく分かるロクでなしかもしれないというせいかもしれないが(苦笑)


それでも今の日本の状況を見れば、新聞、テレビ、マスコミ、警察、司法、行政、政治、明らかに何等かの形に誘導、流されている、それが海外にいるとよく分かる、解るが日々の暮らし、そこそこの生活、ある意味能天気生活を享受している多くの日本人に
こうなんですよ、と言ってみた所で、理解される事はない。

それは実際に自分や身内、周りにやっかいな問題や困った問題が起きてみて始めて周りがこんな状況、事態だったのかと気が付く、だが、その時はもう遅い。


いずれ日本はあちこちに日本人以外のコミニテイが出来上がる、日本人が持っていた常識が通じなくなる事態が発生する、だがそれでも多くの日本人は文句は言わないだろう、残念ながらそういう国民性なのだ。



インチキ皇室にも万歳万歳、日本は移民大国ではないが、気がつけばお隣はイスラム教徒、アフリカ人、、、、、、、朝鮮人と言えばそれはヘイトだ、注意や文句を言えばそれはパワハラ、セクハラ、実父が自分の娘を強姦しても無罪にする裁判官、社会全体が狂い始めて来ている、

多分、後10年で日本が日本でなくなる、それがどんな形になるのか薄ら能天気日本人の多くが全く分かっていない。結局のところ、長生きしたところでいいことはないし、長寿社会なんていずれ国としてなくなっていく意味しかない。

男は見てくれ、そして金。

2019.05.21.05:04

私が若い頃、あるバーのママ、まあ、そこそこのバーであったが、に言われた事があった、それはこういう事だった。

Tさん、男で金がないという事は首から上がないと一緒の事なのよ!!

当時は本当の意味で一体、それはどういう意味なのかはよく分からなかった、後年、銀座当たりのそこそこのクラブでお客さん接待でしばしば行くようになってからやっとその言葉の意味が分かった。

当時、銀座のそこそこのクラブに来ていたのは、半分位が会社の接待費を使ってくる会社員、それ以外は自前、例えば医者、弁護士、会計士、中小企業経営者、作家、坊主、つまり、私のように会社の金を使ってはくれるが自分の金ではない客はいわばお使いさん、一応愛想は使うがそれ以上、それ以下でもない存在、一方、自前の金が使える男達はよっぽどの不細工や臭い男でなければもしかしてスポンサーや愛人になってくれる可能性がある男達、

そしてそのような女達からみて、こういう男なら口説かれてもいい、そんな見分けかたがある、そう教えてくれた事もあった。

色々有ったが、金を腐る程持っていても成金やケチは駄目、カツラよりもきれいなハゲの方が良い、口が臭いのはNG,服装は別にお洒落に越した事はないが、そこそこの地位にふさわしければそれは対して重要ではない、まあ、などとお水の女達は勝手な事を言っていたが、ただ、こんな事を最後に言っていた。

あのねTさん、男として本当に紳士かどうかを見分けるコツがあるのよ、それは靴、どんな靴を履いてどんな状態であるか、それを見ればその男の経済状態や趣味、生き方が一発で分かる、そう言っていた。



その意味で当時の私なんか、会社の金出来てくれるだけの客で、仮に口説かれても今度、またね、位の相手、もっとお勉強してから来てねか、もっとお金を儲けて自前の金で 来てね、そんな揶揄もあっ言ってくれたのだろうと思うが、ある意味勉強になった。

いずれにせよ、そんな女達から見れば、金がない男なんていくら男前だろうがなんだろうが、首から上がないと一緒、なる程と思った。

今はもう多少の金があったとしてもそんなクラブで遊びたいとは思はないが、ここで教わった事はそれからの人生には役に立った。


私は自分でもお洒落な男だと思う、そしてお洒落をすることが好きだ、一時は好んでブランド物を身に着けていたが、これはそれなりの階級の人から見れば滑稽に見えると気付いてからはそれは止めた。

ただ、安物は身に着けない、超高級ではないがそこそこのクラスのものを身につけるようにはしている、それは人は初対面の時、その相手をどのような基準で判断するのか、それを知っているからだ。

まず、靴、お水の女の子達が言っていた靴、これは私も拘りがあって私の靴はそのほとんどがイタリー制のバリーである。ただし、この靴は勿体なくて雨の日は使えない、それは靴底が革製なので傷みが早くなる、そして長く使おうと外出の時はそれぞれ別のバリーに履き替える、デザインは伝統的なもので色は基本は黒と茶、履いててしまうとブランド名が隠れるがだが見る人がみれば履いている靴がバリーだとすぐわかる。

私の基本的お洒落、それは色使いである、同系色か補色、冬だと黒のカシミアコート、白の絹マフラー、黒のStetsonnの中折れ帽、白のコットンワイシャツ、ベストが襟付きのスリーピーススーツ、バリーの黒革ベルト、シルバーシルクタイ、そしてシルクチーフ、靴は勿論バリーの黑革靴、これが夏だと白の麻で作ったスーツ、白のアメリカ製Knoxパナマ帽、麻のシャツ、黒の編み上げタイ、そして白のスエード革靴、こんな塩梅で、その日の外出気分で色を変えて組合わせている。

勿論スーツもそれぞれの季節に合わせて25着、黒、紺、茶系、グレー、無地から縦じま、コートも革や、カシミアチェスターフィールドコート、ウール、そしてバーバリートレンチコート、とそれぞれのスーツに合わせて10着位ある、私にはスーツを身につける場合拘りが有って決して半袖シャツは着ないし、必ずカフスボタンを着ける、ダンヒル、金銀、時計もそれぞれに合わせダンヒル、カルチェ、マイケルコース、ランボルギーニ、手巻き、自動巻き、バッテリー式、8つ位ある。

サングラスはそのほとんどがレイバン、これは別に自慢をしている分けではなくて自分が装う服装に拘りがあった結果、集まっただけの話であり、その多くが最近手に入れた訳ではない。

面白い事にこのように見た目が紳士然であれば、例えばホテルやレストランでは丁寧に扱われる事が多い、ホテルでは必ずサーをつけて呼ばれるし、誰も中身が日本の下らない爺とは思わない(笑い)

ただ問題はいくら身の服装に注意しても年齢による衰えは隠せない、特に頭髪、私は禿げるタイプではなく白髪に近いがそれでも髪の毛が薄くなってきたし、顔の老醜は酷くなってきた、目の周り、頬に出来た染み、だからサングラスは外せない。

膝の関節も痛み始め、もう直ぐステッキが必要になるかも知れない、今の内からこ洒落たステッキ、探しておこうと思っている。


今、以前に書いたように引っ越しの準備として、そして自身の終活を兼ねて、身の回りや持っている物の処分を始めている、ただ、ただで上げてもいいが、ひとにはそれぞれお洒落のセンスがない、あるいはお洒落に全く関心がなかったり、そのような人間にはあげたくはない。

又、サイズの問題もある、私自身は小柄な人間なのでこちらの人間には合わない場合が多い、だが、いずれにせよ、私がおっちんでしまえば処分するしかないかと思うと、自分が好きで集めてきたものが勝手に処分される、それはちょっと悲しい。


色々書いたが、人は晩年になればそれぞれの生き方や考え方、人生観があり、それはそれでいいと思うし、どう過ごそうと自由だと思う、ただ、私自身は人、他人は見てくれで判断されると思っている、いくらその人間の中身や人間性が立派でも際立って善良であったとしてもそれは相手には見えないし、仮に理解されたとして相当な時間は必要となる。

歳を取って呆けてしまい痴呆老人でしかない場合でも、きちんとした身なりであれば、人はそれなりの扱いをする。


最期に私には子供はいないので子供に残す財産はない、、子供に残す為の財産はないが後10年位は好きなように生きていくだけの財産は有る、基本的に人はどんな超金持ちでも死んだら何も持ってあの世にはいけない、だから金なんてあとくされが無いように使い切ってしまうのがいい。

だから大事な事はある程度そこそこの金と財産があれば、老後は自分の為だけに使う事、仮に1億や5千万位の半端な財産がのこればそれは残された家族の争いの元になるだけ、仲良かった兄弟姉妹が財産争いで犬猿の仲なんて話はいくらでもある。

結論として爺になったらこ洒落た爺いを心がけるべき、婆あはお洒落でセンスがありキュートで愛されるようにするべき、決して小汚いウス汚い爺婆にはなってはいけない。

まあ、余計な御世話だなんて言われるかもしれないが(笑い)
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