スランプ。

2014.09.15.02:43

スランプ、このl言葉が適切かどうかは分からないが、最近このブログ更新が億劫というか筆が進まない。

それは書きたい事が沢山あるのだが、どうも筆が進まないという訳ではなく、書こうという意欲自体が失われ、世の中のいろんな出来事、対象に無関心になってきた、どうもそんな感じに近い。

これは精神的な事なのか、あるいは持病の躁うつ病のある種の病状なのか、それとも最近の体調不良の影響なのかは定かではない、体調不良と言えば、このごろ全く食欲がわかない、一日一食でも腹が空かない、別に腹が空くような労働も運動もしている訳ではないから、当然といえば当然なのかもしれないが、体の痩せ方が以前よりも早くなってきた、おかげで持っている服が皆だぶだぶになってしまった。

また、最近、どうも同じような夢を沢山視る、、、、

それは決まって、大事な事を忘れて右往左往し、進退窮まる、そんな夢である。因みに昨晩視た夢は、会社員時代に得意先からの高額集金で小切手を何処かに紛失して、その金額の大きさとどうして紛失してしまったのか、夢の中で立ち寄った場所や入れたと思う鞄や車のダッシュボードを何回も検証している、だがそのこと自体、これは夢なんだという事を自覚しながらやっている、まことに奇怪で不条理な夢であった。

また同じような夢、これもバージョンは違うがよく視る夢、それはモールやスーパーに車で買い物にいって、さえ、帰ろうと思って車を探すが、ところが車を駐車させた場所を忘れてしまい、自分の車が探せない、そこで立ち往生、勿論、夢の中でこれは何時も視ている夢なのだ、それを知りながらもその状況に冷や汗をかいている、、、、、これらの意味、精神分析や心理学を学んでだ人間なら分かるかもしれないが、私には分からない。

このような心身の状況、あえて放置している。

と言ってそれは怠惰で放置して入るわけではない、うまくいえないが心身とも壊れていく状況を傍観視しているというか、どうなってしまうのかを見極めるというか、そんな話である。

つまり、このような状況、状態を積極的に直したいとか好転させたいというか、そのようには思わないのである。

自分に対して無関心状況なのに自分以外の対象に関心が向く訳がない、したがって書く事がない、そんな理屈になるわけだが、今回の記事は何故そうなるのか、自分なりに整理してみた、そんな処になるのかな、、、、、


いずれ死ぬ、そのことは分かっているし、それ自体に恐怖はないが、そこに至る過程をどのようにたどるのか、このまま心身とも朽ち果てて枯れ木のようになってしまうのか、間に大病を患って苦しみながら逝ってしまうのか、あるいは朝起きてこないで家人が気ずいたらぽっくり死んでいた、また逆に体は大丈夫だったのに頭が呆けた、そうなってしまうのか、、、、

いずれにしても、これはもしかしてもって生まれた運命なのかもしれないが、それは知りうるなら知りたいと思う。

毎週キリスト教会に通う身としてはこんな言い方もどうかと思うが、私自身は永遠の命はいらないし、天国が本当にあるかどうかはともかく、天国なんかには行きたいとも思わない。

それは人間は1人で生まれ1人で死んでいき、生まれてきた状況は選べないし、だれでも最後は死ぬ、そこには貧乏人も大金持も人生の失敗者も成功者もない、きわめて公平であり、人間社会が続く限り、誰が死のうがその社会は継続し、名が残る人間もいれば無名の路傍の石のように死んでいく人間もある、、それだけの話、だからこそ生きている内の過ごし方、生き方が大事であって、それ以外の重要な話なんて人生にはない。

だがそうはいっても人生、運不運もあり努力だけで何ともならない場合もあるし、生まれつきの宿命、何てこともあるようだが私の場合、今まで生きてきた中でそれが何だったのかは分からない。、

私には以前に書いた事があるが、私にとっては大事な存在が3つあった。

それは愛犬の存在、母の存在、そして妻の存在、だがそのうちの1つ、愛犬はいなくなってしまい、母ももうすぐ90歳になる、いずれいなくなる日も近い、最後の大事な存在の妻は今のところ、元気で深刻な病気もないし、私が死んでも経済的には何の問題もない、

そんな訳で私自身がなんとしても生き続けるという目的というか、意味がこれからの人生にはない。別に死に急いでいるわけではないが、寿命があれば生きているだろうし、とは言え無残な老醜を晒す植物呆け老人にはないたくないし、そうならないような形での決定権を持つ頭は維持しておきたいが、さてどうなるやら、、、、


最近、あるブログ記事でこんな話が載っていた、彼は私と同じ65歳、5年前に妻に先立たれ、商売や財産を処分して南方に移住を決意、その準備としてタイで若い愛人をつくり交際、フィリピンではダイビングを習い、人生の老後をエンジョイしていた、だがある日、フィリピンのダイビングのボート上で急死、その後の措置でこのダイビング経営者の苦労話が書かれていたが、、、、、、これについて身につまされた話がいくつか載っていた。

彼には疎遠になっていた娘が2人、父がどう暮らしていたか、全くしらなかった、また父死亡の話があった時点でもパスパートは所持しておらず、勿論英語も話せない、そして何より父が財産を娘に残さず、勝手に処分、そのことにも悪感情をもっていたらしい、らしいというのは父の死後の措置に面倒がっていたらしい、そりゃそうだ、誰だってそうなる。

彼の所持品からタイにいた愛人にも連絡したらしいが、タイ語の通訳付きの会話によれば来月結婚する話になっていたらしい、また彼の所持品、糖尿病の為の多量の薬、心臓病の薬、バイアグラ、だが肝心の彼の持っていたであろう預貯金、保険などの書類、財産関係の書類はどこのにあるのかは不明、勿論疎遠になっている娘達にも分からない、遺言なんて残してないし、本人自体が急死するなンて思ってもいなかったであろう。

結局、このダイビング日本人オーナー(女性)の善意でセブ島のダイビング場所より、医者の死亡診断、お棺の手配、葬儀火葬、そして遺族できた彼の娘たちの世話、そして日本への帰国の世話、大使館の折衝、多くの時間と費用が発生、同様,急遽してきた娘達も滞在費、交通費、そのた彼女達が支払うべき多額の費用が発生、だが父の金がどこにあるのかはわからない。こうなると親子であった事が逆に負担となってしまった、そこには父の死を悼む感情なんかありえないだろう。

つまり、私と同じ団塊爺、苦労して生きてきた人生、残りをどうつかおうと俺の勝手、これからの人生楽しむ、それは分からぬ訳ではないが、だがフィリピンの田舎の島で何の準備もなくぽっくり、死んだ本人はいいが周りが大迷惑、実はこの種の話、フィリピンに住む困窮団塊世代日本人男性の共通話としてよく聞く話である。

その意味では上に書いた話、娘があって取りあえずは駆けつける、、だが、この困窮日本人男性が死の床につこうが、亡くなろうが、大使館からの連絡にはたとえ身内であっても関りあいたくない、勝手に無縁墓地でも好きなように何て答えも多い、まあ、勝手に死んでくれ、死んでからも迷惑をかけないでくれ、そんな処だろう。

では何故このような結末の話になるか、と言えば、フィリピンに住む多くの困窮日本人男性、実は多少の違いがあるものの困窮日本人に至るまでのパターンがよく似ているのである。

妻と離婚した、妻が亡くなった、長い間独身を余儀なくされていた、そこになんだが知らないが自分という人間を受け止めてくれる異国の女に出会えた、自分の見てくれや歳の差なんか気にしなかった、彼女といるとそこには自分が失った青春見たな世界があった、、、、、、、、、これってすべて錯覚で本人が騙されていた部分もあっ他のだが、その時には分からず舞い上がって、ついには彼女の住むフィリピンに彼女を追っかけて永住、

このようなカップルには共通のパターンがあって女性は貧困層出身、男性は中年から団塊世代、タマに若い人もあるようだが、いずれにしても英語はともかく、現地のタガログ語、は全く理解できない、そんなカップルが殆どであった。

日本人男性、移住に当たっては持っていた預貯金、財産をすべて処分し移住しようとする、だが子供達や友人、親戚が大反対、だが舞い上がってしまっている本人には聞く耳はない、こうして失敗しても舞い戻る古巣を捨て移住。

結果、金の切れ目が縁の切れ目、家もとられ、全財産を失って海岸近くの公園で路上生活者になる、中年、団塊日本人が何人もある、このような状況に同じ在留邦人が大使館を通じて日本にいる近親者に連絡を取るも結果は上に書いたような返事となる。

今更望郷の念がわいたとしてももう遅い、帰る場所も待つ人間もいない、、、、そして異国での野垂れ死に、、、、、、、無縁墓地の住人に、、、、これが望んだ結果かどうかは知らないが、、、、、

ただ誤解を招くといけないので付け加えるとこのような日比カップル、中には本当に優しい女性に恵まれ幸せな老後を送っている日本人男性もいる、、、、数は多くはないが、、、、


私は世にいう成功者という人間には何の羨ましい気持ちも持たない、それは多少の努力と熱意が成功者になりたいとの過程であっただろうが、結局のところ、運と他人が持っていたであろう、富と権力を手に入れただけ、自分が富と権力を創造したものではない。

つまり、根が正直で善良で他人に優しい人間は成功者には決してなれない、人を騙し悪徳の限りを尽くして成功者、権力者として生きる、だがそれも人生でいえば僅かな時間、、、、盛大な葬式、立派な戒名、素晴らしい墓、遺族にとっては良いかしれぬが死んでしまえば野垂れ死にであろうが、立派な墓の下であろうが何の関係もない。




まあ、死ぬ時は人の迷惑をかけずに逝きたいものではあるが、そこまで考えて生きている人間が果たしてどれほどいるのかどうかは知るよしもない。

私も結構独りで海外旅行をする人間、どこでどのような形で死んでも構わないが、少なくともそれにかかった費用が賄うような形の保険証書なりコピーを持ち歩きたい、そんなふうに思ったブログ記事であった。


だらだらと取り留めのない事を書いてきたが、、、、、、何とか記事に仕上がった、まあ、よしとしておきたい。


FC2 Management

マオ、MAO The Unknown Story

2014.09.07.13:43

この2~3日、このマオ、誰も知らなかった毛沢東、という本を読んでいた。

この本、上製単行本,上下巻の分厚い本で初版2005年11月で講談社発行、著者はワイルドスワンで世界的ベストセラー作家となった、ユン チアン (張 戒)という女性である。そして彼女自身も一家が虐待、迫害を受けた被害者であった。

因みに私はこの著者が書いた、ワイルドスワンという本も読んでいる、このワイルドスワンという本、著者の家族と当時吹き荒れていた文化大革命を素材にしたもので全世界で翻訳出版され1000万部を売り上げた。

著者紹介欄、ユン チアン、1952年、中華人民共和国四川省生まれ、14歳で暫く紅衛兵後、農村に下放され農民にその後裸足の医者、鋳造工、電気工、四川大学英文科、1978年にイギリスの大学に留学そこで博士号を取るとあった。
現在はイギリスで暮らしている。

このマオ、上下巻の帯に書かれている本の謳い文句にはこう書かれている。

新たな資料と証言で明かされた驚くべき真実、権謀術数渦巻く20世紀中国を圧倒的な筆致で描いた歴史巨編。

スパイの暗躍,大飢饉、権力闘争、そして文化大革命、、、、世界の四分の一の人口を支配した最強の独裁者、その全貌を描きつくす。

この帯に書かれていた謳い文句,,本を讀んだ後では正しくその通りであったが、私に別のタイトルをつけてもいいといわれれば、こうつけたと思う。

毛 沢東、世界歴史上最大の殺人者、世界最大の悪党、そう書くであろう。

彼は中国湖南省の小作農の息子として生まれたが、彼が没するまで死に追いやった数は何と7000千万余り、それも殆どが自国民であった、更には彼が代理介入した朝鮮戦争では人民解放軍を使って朝鮮人やアメリカ人も何十万人も死に追いやっている、なぜ、このような男が生き延びて中国の最高指導者として君臨できたのかがこの本には書かれている。

近代において独裁者として指弾された人間、ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、チヤウチェスク、と数え上げればきりがないが、毛沢東、この人間は特別である、現在でも中華人民共和国においても建国の英雄として扱われ、彼を批判、総括されたという話はない、それは彼が作り上げた中国共産党一党独裁政権が今でも機能しており、その政権構造を毛沢東時代とはさほど変わっていないからである。それは現在の共産党幹部、当時の共産党幹部の子弟で作られた太子党という組織出身者で占められ、それらの人間が党や政府の要職を占めている。



ただこの本を読んで思った事はこの無慈悲で悪魔のような毛沢東を何故排除できなかったのか、それが不思議だったのだが、人間を恐怖で支配する時代には今、能天気、お花畑的思考で暮らす日常を持つ人間には理解できない事なのかもしれない。


彼は経済については無知だった、したがって彼が国家権力を掌握してから、彼が打ち出した経済政策はことごとく失敗した、大躍進、文化大革命、その他数多くある、彼にとって国民とはしゃぶりつくし、絞り尽くす存在であり、又、政敵を倒す為の運動であり、そのために人間が何千万人も死のうが何の痛痒も感じない男であった。

性的にはだらしなく、結婚も3回以上,間には妻が死のうが子供達が死のうが何の感情も見せない酷薄の男だった、ただただ、中国の最高権力者、そして最後は地球、全世界の権力として君臨する、それを追い求めて生涯だった。

かれが起こした政治運動、中でも文化大革命、これは彼の政敵を倒す運動だったが、それは後の歴史検証でわかった事であり、その当時は素晴らしい大革命と賛美されていた。

今、問題の朝日新聞、当時は日本で1社だけ中国において取材活動を許された新聞社で、その許された理由は文化大革命は世紀にわたっての素晴らしい革命と毛沢東賛美、提灯記事を書き続けた結果で、この馬鹿な左翼基地外思想は今でも変わってはいない。

この文化大革命、何千万もの中国人が死んだ、処刑、飢え、そして疫病死、最後は食料もなくなり人肉まで食べたという記録もある、また洗脳された10代の紅衛兵によって造反有理、といった毛沢東思想により多くの歴史的建造物や書籍が失われてしまった。
彼の失敗した政治運動の一つ、躍進運動、これは中国の重工業の急速な近代化であったが、特に製鉄の生産、これは当時のソ連からの借款によって進められたが、何とこの借款の代金は農民から絞りとった食料、米や穀物で支払っていた、それも強制徴収、このため農民は餓死寸前となり後に土饅頭(これは屑穀物に泥を混ぜ団子状にしたもの)を食べ、腸を詰まらせ大量の農民が死んだり、家庭でも粗鉄の生産を奨励、粗末な溶解炉で各家庭のあらゆる鉄製品(農業用具や鍋、釜、包丁、調理器具)を徴発、だが出来上がった粗鉄は結局屑鉄となり使い物にならず、また、鉄を生産するために全国の森林を伐採、すべての山が禿山となり、その後このために洪水が発生、この被害で沢山の人間が死んだ。

また、農民を集団化、農業公社にしたが、それは農民が家庭で調理もできないためにこの公社で食事をさせることした訳だが、これも食事を餌にして等級をつけ、命令を聞かない者には餓死させた。

この後の文化大革命、西側の政治指導者が毛沢東にこの革命によって何千万人の死者がでたそうだが、そんな問いに毛沢東はこう答えたとある、

毛沢東、中国の人口は十何億、だから何千万人の人間が死んだからといって、中国にとっては大した問題ではない。中国の人民は国の資産である、国が発展する為に国の資産を使うのは当然であるといったそうだ。


私がカナダに移民した際、カナダ政府の主催する移民の為の英語学校、そのクラスで親しくなった中国人移民があった。

彼は中国人だったが本土からの移民ではなく香港からの移民であった、彼のカナダに移民するまでのストーリー、この文化大革命と切っては切れない話があった。ちなみに彼は私と同世代だった。

彼がいつも言っていた、俺は絶対に、マオ、チュートン(毛沢東の英語読み)を赦さない、

彼が大学の学生だった頃、突然大学が閉鎖、共産党地区から政府の方針としてこれからの大学生は農民から学ぶ必要がある、それも僻地農村に行って学ばなければならない、そんな事で沢山の学生と一緒にトラックで僻地の貧しい農村に強制的に送られたそうだ。

電気も住む家もなく、粗末な小屋でそれから7年、食べるものなく着るものなく、病気になっても医者も薬もなく、朝早くから夜遅くまで過酷な農作業、都会出身の学生では耐えられない生活、仲間もどんどん死んでいき、逃げたくとも厳重監視生活、少しでも不満を漏らせば反動分子として処刑、

これは彼が下放、(これは文革当時、多くの若い学生をはじめ、知識人達が思想改造を目的として無理やり中国の貧しい山村に連れていかれた運動)された場所、後でわかったといっていたが、香港に近い場所であったそうだ。

彼はある日、脱走を計画、勿論捕まれば処刑される、当然家族も連座制で処罰される、だが彼は実行した、そして海を泳いで香港に脱出、この時余りにも疲れて死ぬ寸前だったらしい、当時の香港はまだ英国統治領だった、当初は難民からの出発、そして苦労して香港の2等市民権を得たが、だが香港が中国に返還となった、そうなれば彼は強制送還される、当時の香港、ここの市民には階級,等級があって、香港パスポートをもっていてもイギリスに移住できるのは一等市民と言われる限られた人々、彼のパスポートでは旅行はできてもイギリスには移住はできない
そこでカナダ、カナダもイギリス連邦国の一つ、でカナダに移住申請、結果カナダに移住、そこで英語学校で私のクラスメイトとなった訳である。

英語学校の同じクラスの生徒、圧倒的に中国人移民が多かったが、その多くは本土系移民、主に中国沿岸部のそこそこの成功組、だが彼は同じ中国人である仲間にもこんな話をしていないといっていた。

また、彼の家族の話にもなったが、一緒に移住した家族の話だけで、中国にいる筈の彼の両親、兄弟姉妹、親戚の話はしなかった、私も察して聞かなかったが、彼が逃亡したという話で当然連座責任で処罰対象になっと思われる。恐らくかれもその後消息は知らないと思われる。

この文化大革命からもう何十年も経っている、その時を知る世代ももう少なくなってきた、だが中国、相変わらず情報統制をやっている国家、嘘の歴史、捏造の過去を教えている、その結果、現代中国から来た移民、全く、過去の出来事には何も知らない、だがそこは中国人、目先の利益、他人には関心をもたない国民性にはかわりがない。

文革当時、低学年児童に両親や教師、親類に対して密告は国家の為、敬愛する毛沢東主席に忠誠を示す、こんな事で両親を売ったり、教師を売ったり、そんな事が沢山あった、また、こうやって密告、国家の敵として認定されてしまえば庇う方も同罪、処刑されてしまう、私は中国人は嫌いであるが、だがこのような悲惨な目にあった当時の中国人には同情の念を覚える、

若い頃、つまらぬ正義感で共産主義にかぶれた事もあったが、やはり共産主義、社会主義、理想と現実は違うし、結果的にはこのように独裁になる、毛沢東、農民を絞りに絞って餓死させながらも本人は美味い食い物と快適な住居のベッドで寝ながら命令を出し続け、生涯、労働に従事したことはなかった。

彼はめったに地方視察に行かなかった、それは暗殺を恐れていたためであったが、その折には地方共産党幹部、まるで王侯貴族を迎えるような扱いをし、更には毛沢東の女性嗜好であった十代女性を選んで彼の寝室に侍らせたという記録もある。

左翼、左巻き、共産主義思想に今でもつかっている人間達、是非、この本の一読を薦める。


最後に私は日本人に生まれ、故あってカナダに暮らすが、日本人に生まれて良かったと思っているし、日本という国を愛している、だが最近の日本の状況を見ると国を貶める、日本人を売る、そんな売国奴が沢山出てきている、これはそんなことには関心がない、いわゆる日和見主義の人間も同罪、結果的にはこれらの売国奴どもを助けていると同じ、中国の中華人民共和国にいたる過程で多くの人間が、政治的プロパガンダによって騙されてしまった。

日本でも日本人でありながら反日に加担する人間や勢力が増えてきているが、幸い、日本では反対意見を言っても処刑されることはない、それだけは確かである(笑い)

余談ではあるが、以前キューバに行った時(キュウ―バ、残された数少ない共産党支配の国),ホテル前で客待ちのタクシー運転手と話をした事がある、

彼らは口々に政府批判をしていたが、極度に他人(自国民)を警戒していた、それは私服秘密警察が張り巡らされており、政府批判をした同じタクシー運転手が逮捕され2度と戻って来なかった、と言っていた。

民主主義国家、この制度の国家、最高の制度とは思ってはいないが、だが共産主義国家、一党独裁の政治体制、これは最悪の制度であることは間違いない。



旅の続き、2.

2014.09.04.21:36

今回の旅に参加してみようと思ったのには2つの理由があった。

1つは気分転換、そして2つ目は国境にある免税店での煙草の購入、1つ目の気分転換、これはまあまあ。私以外は全てフィリピン人の2泊3日のバス旅行、いろんな発見があり面白かった。
2つ目の免税店での煙草の購入、これは一緒にバスに乗った友人達にもお願いをして合計16カートンの煙草購入をすることが出来た。免税店での煙草、これは1人1カートンのみ、1カートン16USドル、2カートン買えば1カートン12USドルになる。

ストックしてあったインデアン製の煙草が切れ、毎日高い値段の煙草を買っていたため煙草代の出費がかさんでいた、なにせ1番安い煙草で1箱8ドル50セント、円でいえば900円以上、毎日1箱は吸うので1月では2万7千円にもなる、たばこを吸わない人には無駄な出費に思うが実際その通りで、あまりの高さにどうしようかと迷っていたほどだった。
取りあえず、今年一杯分の煙草は確保できた。

国境通関、これは行きと帰り、厳しさでいえばアメリカに入る方が厳しい、バス旅行の場合は全員パスポートを持ち、通関ビルで係官の質問とパスポートチェックを受ける。今回は北米のレーバーデイ、日本でいえば勤労感謝休みの連休もあってアメリカに遊びに行く観光客も多く、この国境通関で1時間以上もかかってしまった。

国境はナイアガラアメリカ滝にある、通関後は山の中を延々3時間以上、たまに小さな町や集落がある程度、その意味ではアメリカは広いと思った。
工場跡らしき打ち捨てられた建て物もあったが、アメリカではすでに製造業はもはや成り立たぬらしい、おそらくは何十年前の建物だろうと思うが、アメリカの地方、田舎、過疎でもうどうしようもない、いったいどうやって暮らしているのだろうか

今回。私以外は全員フィリピン人のツアー、中には顔見知りも何人かいたがこんなに長い間でのバスツアー始めての経験だった。

バスでの時間、朝が早かったこともあって暫くは寝ていたが、そこはフィリピン人、早速おしゃべりが始まった、その内、冗談もでるようになって、しまいには冗談大会、各自、自分の冗談に自信がある人がマイクを握ってその冗談の面白さを競う、この冗談、すべてタガログ語だったので半分以上は分からなかったが、それでも冗談が上手い人やつまらない冗談かどうかは分かった。ある主婦、単独での参加だったが、彼女、旦那の悪口を冗談で言っていたが余りにシリアスなので受けがわるかったが、そこで大袈裟な笑い、これも冗談で大声だったので皆つられて笑っていた。

とにかく、面白い冗談はうけてバス内は大騒ぎ、つまらない冗談もつまらないとこれも大騒ぎ、面白かった。私は過去に日本のバスツアーにも参加したことがあるが、日本人とは異なる文化で非常に興味深かった。

この2泊3日のバスツアー、食事別でホテル代、バス代込で1人250ドル、多分安いと思う、何か所か郊外の有名ブランドアウトレットモールに立ち寄ったがこれも後でツアー会社にリベートがあるとは思うが、とにかくフィリピン人、ショッピングが好きである。

参加したフィリピン人、カナダでそこそこの生活をしている人間ばかり、金は持っている、そんな訳で沢山のブランド品を買い込んでいた、例によって私の妻も時間一杯、ショッピングを楽しんでいた。

ニューヨーク、マンハッタン、5番街、ちょうど日曜日だったこともあって観光客でごったがえしていた、ところが5番街の有名ブランド店、軒並み休み、これは日曜日は休みという条例があるかどうは知らないが、こんなに観光客がいるのにオープンしない、日本では考えられない話、勿体ないと思った。
日本のユニクロも5番街沿いにあったが、あまり客ははいっていなかった。

ニューヨーク観光、これは海外からも観光客も多いが、そのほとんどは国内観光客である、アメリカの田舎町からきている人も一杯いる、日本でいえばおのぼりさんに当たると思うが、その昔、42番街のバーで一緒になった男はどこかの田舎町で屋根葺き職人で私が日本人と分かると日本大好きみたいな話をしていたが、どうも話がおかしい、で、解った事はこの男、どうやら、日本と中国一緒の国だと思っていた。アメリカの田舎町の住人はこの程度の関心しかない、それがよくわかった事だった。アメリカ人の田舎者、これは本当に田舎っぺ、狭い地元の事しか関心がない。

カナダからアメリカに入ると何となくアメリカの匂いというものがある、そして町並みというかゴミがあふれ雑然としている、そんな印象がある、やはりカナダの方が国としてはいいな、そう思った。

アトランティック、シテイ、ニューヨークから約3時間、始めていったがちょっとがっかりした。この町,斜陽となってから久しいといわれているがその理由、解るような気がする、それは町に創り方、ラスベガス同様大手資本のカジノ産業が進出しているが、建物、街並みがまるでハリウッドの撮影用張りぼてセットのようで、安っぽい感じがするし、そしてこの町にやってくる観光客の質、これもラスベガスに遊びに来る、あるいはギャンブルにくる人間達とは違う、そう思った。

カジノにも行ったが、客はまばら、観光客はミドルイースト、インド人、メキシカン、ヒスパニック、黒人、いわゆる金持ち階級の人ではない、それらの人々、家族や友人で安いファーストフードで食事をし安売り出店で買い物、後はビーチで過ごす、そんな人々であった。

私には人種的偏見、中国人、朝鮮人以外にはないが、それでも此処はアメリカと感じる位にそれらの人々であふれていた、裕福そうな白人は誰一人いなかった。また、ここにはホテル以外に美味しいレストランがなかったように感じたが短い滞在だったので本当かどうかはわからない。

酒はホテルバーでビール一杯5USドル、ウイスキーシングルで8USドル、高いと思ったがどこにも酒屋がない、こんな事ならニューヨークの酒屋でバーボンを買ってくればよかったと後悔したが、しょうがない。

この町にいわゆる金持ち階級の白人が来なくなって久しいといわれているが、その理由もなんとなくわかるような気がしたし、噂ではこのアトランティック、シテイ自体、いずれ潰れてしまうといわれているが、その噂も真実みがある。
言葉や表現が悪いが貧乏人が大量に訪れる観光地、地元に金は落ちない、であれば観光業に力も入らない、悪循環、その意味では日本の温泉観光地、中国人観光客を誘致して活性化を図りたいらしいが、中国人観光客の傍若無人ぶりや滅茶苦茶所業の数々、結果、本来の日本人温泉愛好客を失ってしまうお粗末さに経営者は気がついているのだろうか

また海岸、ビーチだが大西洋、波が荒いし海の色も鉛色、水も冷たいし、これではビーチを楽しむなんてこともできない、何か町全体の観光コンセンサスも中途半端、作られた人工の街、そんな感じがした。

この造り物セットのような町並み、以前に旅行にいった長崎のハウステンボス、よく似ている、長崎のハウステンボスも斜陽化の波がきているようであるが、やはりつくりもの観光地には限界がある。

2度と行きたいとは思わないが、1つの体験としてこんな街にもいった、それだけの話、日本からわざわざ観光にいくような街ではない、そう思った。
一緒に行った義理妹がカジノで300USドル,すったといっていた。多分、客が少ないのでスロットルも出ないように細工しているのであろうが、やはり悪循環、この妹、先日はナイアガラカジノ、スロットルマシンで800ドルの元金で一万ドル、とったばかりであった。


カナダ、9月になって何日か過ぎたが、もう朝晩は涼しさを通りこして寒いくらい、今年の夏は本当に暑いといった日が一日もなかった、地球温暖化現象、これはインチキ陰謀論で本当は小規模氷河期に入っているのではという説があるが、私もそう思う。

さて自宅に戻ってさりげない日常に戻ったが、とにかく毎日が日曜日、特にやることもない毎日だが暫く本格更新しなかったこのブログ、久々に書き続けていこう、そう思っている。

5年振りのニューヨーク、だったのだが、

2014.09.04.11:57

実は今回の旅、義理弟のCARP(カナディアン、エイド、アソシエーション、プロジェクト)が企画した会員とその家族旅行に参加した形になった。

このCARPという団体、フィリピンに無料クリニックと医療を支援する比国系カナダ人の基金団体である。

参加人数は120名、バス2台、すべてフィリピン人、日本人は私だけ、最初は英語での説明であったが、そこは比国人、結局タガログ語で終始した(笑い)

トロントと郊外都市で客を乗せ、アメリカ側ナイアガラ滝経由でアメリカ入り、その後山の中を3時間近く走り、山のふもと近くのマリオットホテルで一泊、ニューヨーク半日観光、その後,アトランティック、シテイ、シェラトンホテル一泊、そしてトロントに戻る、そんな日程だった。


IMG_1590.jpg
IMG_1589-001.jpg

これは9,11、グランドゼロにあった亡くなった方のメモリアルプレイスと新規に出来上がった2つのビルの内の1つ、

IMG_1593.jpg

ニューヨーク市警が警備していた。

IMG_1594.jpg

これは自由の女神を見る為の観光船、

IMG_1597.jpg

マンハッタンにあるロックフエラービル
IMG_1599.jpg

セントラルパークの前にある、超有名ホテル、残念ながら名前が変わっていた、現在はプラザホテルとあった。IMG_1601.jpg

何十年振りだったセントラルパーク、昔と変わっていた。

IMG_1604.jpg

アトランティック、シテイ、海岸、大西洋に面し、波が荒かったし海の色が汚い、水が冷たくつまらないビーチだった・
IMG_1605-001.jpg
 
海岸から見たカジノとホテル群、

今回の旅行で色々感じた事が多かったが、それは次回としたい。







お礼。

2014.08.30.12:24

本来なら個別にご返事を差し上げなければならないのですが、、、、頂いたコメントは全て読ませて頂いています。

この欄でまとめてご返事することをお許し下さい・

コメント欄より

ウナのん兵衛さん
ハンギン親方
KUONさん
敏子さん
バナボアンさん
隣のPAPAさん
長屋の爺さん
がんこじじいさん
トムさん
風子さん
マルガリータさん
東京のお姉さん
幸さん
シロボンさん
ぼちゃこさん
しんちゃん
ジャスミンさん
ラせテイさん
KAVITAさん
チカさん
まつさん
MKさん
アビさん


拍手欄
マリンゴさん
山本さん
Asahiさん
キョウコさん
まあさん
雪さん
マツさん


有難うございました。

戻り次第、順次時間をかけてご返事したいと思っています。

では。
プロフィール

わがまま、親父

Author:わがまま、親父
FC2ブログへようこそ!

愛しの愛犬、ブラッキー、虹の橋の向こう側で元気でいるかい!!

在りし日のブラッキーの肖像画、作、グレイス、クローハン、

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
わがまま親父の独り言、カナダで生きています。
わがまま親父の独り言う、カナダで生きています。
わがまま親父の独り言、カナダで生きています。
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR